2015/11/15
上菱野城/愛知県瀬戸市
上菱野城は本泉寺となっています。訪問日は2014年8月3日です。
▲本泉寺
上菱野城の跡地には、山田泰親が開基した本泉寺があります。もともとは別の場所にありましたが、江戸時代にココに移されました。地形を見ていると、南側が開いた馬蹄形の丘が居館を囲んでいます。当時主流だった殿谷戸形式のようですね!

▲本堂
遺構はまったく期待していませんでしたが・・・本堂とその周りの地形が、いかにも城跡っぽいです。こういう威厳のある城跡のお寺も悪くないですね

◆歴史◆
平安時代に源重定が菱野にやって来ました。
菱野城の説明板によると、1079年に源重定が菱野城を築いたとされます。このきっかけとなったのが、美濃国内での源氏同士の合戦でした。源重宗と源国房が郡上で派手な戦をしたため、両者とも朝廷から罰せられました。討伐に来たのが源義家で、この縁で孫の重遠に義家の娘を娶っています。この時に尾張国春日井郡浦野へ移ったとされます。その源重遠の弟が重定で、山田郡のこの地に館を構えました。・・・色々読む限りは、勝手に住み着いた感じです。
1221年、承久の乱で山田一族が討たれました。
当時の山田荘の地頭は山田重忠で、尾張国内にかなりの所領を持っていたようです。後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうと挙兵すると、山田重忠は上皇に味方しました。山田氏は都で上皇の警備が主な任務だったため、朝廷との関わりが深かったとされています。戦の指揮を執ったのは都育ちの貴族で、奮戦虚しくあっと言う間に京へ追い詰められました。最後は御所にも入れてもらえず、数に勝る幕府軍に追われて嵯峨般若寺山で自害しました。山田重忠の嫡男・重継は討たれ、嫡孫・兼継は越後へ流罪となりました。
山田泰親と山田親氏が地頭となりました。
承久の乱後、山田氏は山田兼継の弟・山田重親の系統が残りました。年代不明ですが、山田重親の子・泰親が上菱野、泰親の弟・親氏が下菱野の地頭となりました。ここは上菱野城と呼ばれているので、菱野城が下菱野でしょうか・・・?
1283年、廃城となりました。
山田泰親が出家して子の山田重元に地頭職を譲り、廃城となりました。この時に山田郷内に本泉寺を開基したそうです。
1613年、城跡に本泉寺が移されました。
元々は300m程南にあった本泉寺が、上菱野城の跡地に移されました。何があってそうなったのかはわからず・・・よくあるのは火事で焼失したとか、洪水で流されたとかですが、どうなんでしょう?
所在地:愛知県瀬戸市矢形町(本泉寺)
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