2015/11/08
上条城/愛知県春日井市
上条城(じょうじょうじょう)は駐車場になっています。訪問日は2014年8月3日です。
▲西側から
西側にある交差点から細道を進むと、フェンスに囲まれた草ぼうぼうの所に出ます。ここが上条城の跡です。土塁は草で覆われていますが、何となく形が分かる感じです。

▲土塁
土塁はグルッとフェンスで囲まれており、立ち入ることが出来ません。そのため隙間にレンズを突っ込んで撮りました。草が深いので高さはよく分かりませんが、2~3mといった所でしょうか。Google Mapの航空写真で見ると、北西の角だけが残っているようです。奥の高い所は天守台だそうで、廃城後は「人呼びの丘」と呼ばれていました。城主の子孫が城跡に屋敷を構えて庄屋となり、洪水の時にここで叫んで知らせたそうです。

▲石碑
駐車場入口の脇に、何やら立派な石碑があります。城跡にある石碑ということで、条件反射で撮ったのですが・・・何が彫られているのか見ていませんでした


▲駐車場
城跡のフェンスで囲まれていない部分は駐車場になっています。ここに1977年までお屋敷が残っていたそうですが、火災のため焼失しました。遺構はかなり失われており、わずかに残った土塁が潰されないことを祈るばかりです。
◆歴史◆
1218年、小坂光善により築かれました。
小坂光善は佐渡国男坂出身のため、男坂光善と表記されることもあります。なぜ佐渡から出たのかはわからず。佐渡国は1221年の承久の乱が終わるまで、幕府の支配が及んでいなかったそうです。時期的にはその直前なので、やはり何かしらの争いがあったのでしょうか?
尚、戦国時代に但馬国から近所の吉田城に来た小坂吉政も、読みは同じ「おさか」です。血縁関係については?です。それは、小坂光善が上条城を築いた後、近江へ移ったからです。近江から但馬へ移った一族がいて、戦国時代に移って来た可能性はゼロではありません。そちらの小坂氏が元居たのは但馬国出石郡小坂郷なので、全く別の氏族だと思いますが。
応永年間(1394~1428年の間)に林重之が近江から戻って来ました。
林重之は小坂光善の子孫です上条用水を整備して再開拓したほか、1403年には上条用水の近くに高貝用水を引いています。ということで、1390~1400年の間には上条に戻って来ていたと思われます。林重之は、この時に小坂姓から林姓に改姓しました。他国へ移った(戻った)上、名前まで変えるとなると落ち延びて来たという事でしょうか?
この年代の近江の出来事を調べると、近江守護・佐々木氏の内紛がありました。1391年に佐々木高秀が没し、嫡男の佐々木高詮が家督を継ぎました。しかし、佐々木高秀が存命中は、次男の佐々木秀満が家督を継ぐと見られていたようです。そのため、佐々木秀満は1399年にあった明徳の乱で反幕府方に味方して没落しています。ということは、1390年代は近江で兄弟喧嘩があった訳ですね。小坂重之が佐々木秀満に従って敗れた、というのであれば、筋が通ります。・・・推測です
1556年、小坂宗吉が城主となりました。
小坂姓ですが隣の吉田城主の家系であり、林氏とは血縁は無いと思われます。その吉田城の小坂氏ですが、織田信長が清洲城を攻めた際に嫡男が討死しました。次男も重傷を負って跡継ぎも無かったため、織田信長の命により前野氏から養子が入りました。前野氏は小坂氏とは何度も婚姻関係にあり、ほぼ同族化していたからと思われます。この時に養子として家督を継いだのが小坂宗吉で、後に小坂雄吉と改名します。同年にあった稲生の戦では、小坂宗吉は佐久間氏とともに兵500で上条城の守備をしています。
上条城の林重盛はこの頃帰農し、領地を織田信長に献上していました。これが自発的なものだったのか、戦に敗れた結果なのかは?ですが・・・織田信長とその弟・信勝の争いで、信勝は篠木郷(上条城や吉田城辺り)を攻めていました。上条城に守備兵を置いたのはそのせいかもしれませんが・・・前城主・林重之に備えたのかもしれません。後世の挙動から、何となくそんな推測をしてみました。
1587年、廃城となりました。
羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄が対立し、尾張を舞台に戦をしました。(小牧・長久手の戦)膠着した戦線を打開しようと、羽柴方の池田恒興や森長可が三河に奇襲をかけようとしました。この時、帰農していた林重之の子・林重登が、羽柴軍の道案内をしています。吉田城主・小坂雄吉は織田信雄の家臣であり、上条城も小坂氏の城だった筈ですが・・・戦が終わると、羽柴秀吉が返礼のため上条城を訪ね、数日逗留したそうです。和睦の条件に従って小牧周辺の城砦は全て破却され、この時に上条城も廃城となりました。
慶長年間(1596~98年の間)、林重登が城跡に屋敷を構えました。
豊臣秀吉が林重登を春日井郡57ヶ村の総代庄屋にしました。これは小牧・長久手の戦の時の功績によるものだそうです。以後、林家は明治時代の林金兵衛まで、この辺り一帯の大庄屋として続きました。
所在地:愛知県春日井市上条町
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