2013/03/24
沼田城/神奈川県南足柄市
沼田城跡は小田原古城の北へ5km程の所にあります。道は県道74号を「相模沼田駅入口」交差点で北西へ左折。「カネボウ足柄工場~」の案内板の所を右折。あとは何となく道なりで、↓の写真の登城口に辿り着きました。

▲登城口

▲登城口にある案内板
手書きの案内板を設置してくださったのは地主様でしょうか?とても親切で助かります


▲登城路は真っ直ぐではない
登りながら、いかにも!という感じの道です。位置的には大手道っぽいですが、空堀とか堀切とか色んな説があります。この道の突き当たりがT字路になっており、その真正面に↓の標柱があります。

▲登城路を登り切った所に城址標柱
手作り感溢れていますが、これが有るのと無いのとでは大違い。特に遺構がはっきりしない場所ではとても助かります

登った平場が主郭の跡だそうですが、見た所はただのみかん畑。空堀や土塁、虎口といった感じの遺構は見当たりません。
かつては主郭が堀切で区切られていたそうですが、今はその痕跡もなし。自分がその土地を利用するとすれば・・・やはり地形を楽に使います。勝手な想像ですが、空堀の跡がそのまま道になってるのかもしれません。道と畑はフラットで段差はありませんが・・・

▲主郭の北側に下りる道が!
主郭内では舗装道が東西に走り、途中で北に伸びる道が1本あります。その道の先が何だか「おいで」「おいで」と呼んでるような・・・実際にそんな声が聞こえたら絶対に行きませんけどw

▲腰郭
ほとんど本能の赴くがままに道を進むと、さっきまでの畑から灌木交じりの藪になります。春先まだまだ3月のせいか下草はほとんど無く、地形がわかりやすくなっていました。見た感じでは、主郭から2、3m程の段差で周囲を幅10m程の腰郭が囲んでいるようです。腰郭の外側はちょっとキツメの山の斜面でした。

▲空堀
まずは東へ向かいましたが、2、30mも進むと倒木と藪が激しくて進めず。Uターンして西へ向かいました。西の方には井戸跡なのか、幅5mほどの窪みが主郭脇に1つありました。そこから更に西へ進むと下り坂に・・・!どうやら空堀(堀切?)のようです。
そこから先は垣根の向こう側が畑になっていたので、あえて進みませんでした。主郭に戻り、舗装道を西へ進むと1件の民家が。道の先は完全に民家の敷地でしたので、城跡探索はここまでとしました。
さっきの空堀(堀切?)がどこにつながっているのか・・・これを書いてる内に気になって来ました。う~ん、気になるの遅すぎ

◆歴史◆
沼田城は平安時代末から鎌倉時代はじめにかけて、沼田氏により築かれました。沼田氏は波多野氏の一族で、相模中央部の有力な御家人でした。
1416年の上杉禅秀の乱では禅秀側についたため没落。沼田氏の領地は没収され、大森頼春に与えられました。大森氏はその後、近隣の勢力を次々と制圧し、相模西部の広い範囲を支配しました。
1495年に伊勢宗瑞(北条早雲)が大森氏より小田原城を奪います。この時に沼田城も宗瑞に降ったとみられます。以後の歴史についてはわかりません・・・
所在地:神奈川県南足柄市沼田
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