2015/10/04
浅野城/愛知県一宮市
浅野城は公園となっています。訪問日は2014年8月2日です。
▲浅野公園の入口
浅野城は浅野長政が居たということで、それだけでワクワクしての訪城でした。豊臣秀吉の親族であり、それだけで歴史に登場しまくります。もちろん、血縁だけで出世したのではないでしょうけど。

▲水堀で囲まれています
地図で見ても一目瞭然で、周りを水堀で囲まれています。こういう所って、来る前から楽しみで仕方がありません


▲本丸
城内は予想に反して複雑な地形となっていました。地図で見た時は、のっぺりした平地が水路で囲まれてるだけかと思いましたが。いい意味で予想を裏切られましたが、堀を越えても簡単には奥に進めない造りです。これだけの遺構がしっかり残っている浅野城は、尾張に来たら必見です!
◆歴史◆
天正のはじめ頃に築かれました。
城を築いたのは浅野長勝、または浅野長政です。浅野城というくらいなので浅野氏歴代のお城かと思いきや、在城期間はかなり短いです。浅野長勝が先祖代々から住んでいた所は安井城でした。
その安井城を築いたのが天正初年の1573年頃とされています。しかし、すぐに所領が変わり、中島郡へ移ってそこに浅野屋敷を建てました。さらに移って来たのがここ浅野城なのですが、浅野長勝は1575年に没しています。晩年の2、3年はとてもバタバタしたんですね。養子の浅野長政は、1573年には近江国長浜へ移っています。ということで、立派なお城を築いたのですが、全く使わないまま浅野氏の手を離れています。
杉浦五左衛門が城主となりました。
浅野氏が近江へ移った後、杉浦五左衛門(道祐)が城主となりました。杉浦五左衛門は中島郡に1100貫の所領を持っていました。かなりの大身ですね!
杉浦五左衛門(重勝)は1592年に美濃・竹ヶ鼻城主となっています。関ヶ原の戦では岐阜城主・織田秀信に従い、西軍として戦いました。本戦が始まる前、東軍の福島正則が岐阜城を攻めました。この時に竹ヶ鼻城も攻められ、城内で毛利広盛が東軍に寝返ったため落城しました。江戸時代には川口次兵衛が二の丸に屋敷を構えており、1600年に廃城になったと思われます。
所在地:愛知県一宮市浅野町八剱(浅野公園)
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