2015/09/27
九之坪城/愛知県北名古屋市
九之坪城は城址碑だけがあります。訪問日は2014年8月3日です。

▲城址碑と説明板
名古屋近辺では仕方がない事ですが、遺構は無く城址碑だけがあります。宅地化の波に呑まれて~って書こうとして航空写真見たら、住宅街と田んぼの境目でした。平地で無主の空き地になっていれば、どちらかに呑み込まれてしまいますよね

◆歴史◆
林秀貞の沖村城から東へ約1.3km
佐々氏の井関城から西へ約1.3km
さらには、平田氏の平田城から北東へ約1.3km
これだけ密集していると、一族か近い間柄のように見えるのですが・・・
簗田政綱が居城としていました。
簗田氏は出自等サッパリ不明です。どれぐらい不明かというと、「政綱」という名前すら推定でしかありません。更には桶狭間の戦で戦功第一とされながら、その内容が不明です。今川義元を討ち取った毛利新助や服部小平太よりも活躍した、というのです。有力な説は、今川義元の本陣の場所を伝えたのではないか?というものです。しかし、その事を示す史料は今のところ見つかっていません。この時の功により、簗田政綱は沓掛城3千貫を与えられています。
子の簗田広正は、1570年に浅井長政が突如裏切った際、織田軍の殿として活躍しました。さらに、加賀一向一揆鎮圧し参戦し、1575年に加賀の天神山城主となりました。やはり城持ちだったんですね!しかし、再度蜂起した一向一揆の鎮圧に失敗し、尾張へ召還されました。その後は織田信忠に従ったとされますが、動向はわかっていません。一説には、本能寺の変が起こる前の1579年に病死したとする説が有力です。この時まで九之坪城が使われていた、かもしれませんw
所在地:愛知県北名古屋市九之坪
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