2015/08/23
矢合城/愛知県稲沢市
矢合城の跡には国分寺があります。訪問日は2014年8月2日です。
▲国分寺
「聖武天皇御創建」の文字が歴史を感じさせる国分寺です。全国各地にありますが、やはり城跡同様ちょっと見てみたい衝動に駆られます。・・・さして堪えもせずにスルーしますけど


▲国分寺山門
一応撮ってしまう山門です。お城の門が移築されていることが多いのでクセになったのかも。国分寺の名を引き継いでるので由緒正しいお寺ですが、お城の移築門ではない、と思います


▲城址碑
矢合城の遺構らしきものは見当たらず、ただ城址碑があるだけです。この城址碑、上の山門の写真でも写っていますが、見つけられましたか?山門を正面から見て左側の、小さな茂みの所にあります。
◆歴史◆
国分寺は741年、聖武天皇の詔により全国に建立されました。尾張の国分寺は、現在地である矢合城の約800m南にありました。地図に印を付けておいたので、興味のある方はぜひご参照下さい。『日本紀略』によると、尾張国分寺は884年に焼失し、現在の名古屋市中区に移ったそうです。
橋本大膳が城を築きました。
橋本大膳は橋本道一の弟で、1582年の本能寺の変の後に早尾東城の城主となっています。しかし、その早尾東城は遅くとも1592年までには廃城となっています。橋本大膳が矢合城に移ったことがその理由とされています。
早尾東城から移らなければならなそうな理由を考えてみましたが・・・
・1583年にあった賤ヶ岳の戦で柴田勝家に味方した
・1584年にあった小牧・長久手の戦で落城して破壊された
・1586年にあった天正大地震で大破した
・同年にあった木曽川の大氾濫で水没した
・1590年に織田信雄が改易された
結構色々出てくるもんですwどれが理由なのか、はたまた他に理由があったのかは不明ですが

早尾東城は、橋本氏の本拠である片原一色城から南西にちょっと離れた所にありました。これに対し、矢合城は橋本氏の支配地域内にあります。もしかしたら、早尾東城の地を没収されて実家に戻ったのかもしれませんね。
橋本大膳が没した後に廃城となりました。
橋本大膳の没年はわかっていません。跡継ぎが無かったため、そのまま廃城になったとされます。城跡には橋本大膳を供養するため、円興寺が建立されました。それが17世紀初頭、つまりは西暦1600年代初め頃とされます。片原一色城や儀長城は1615年の一国一城令により廃城となっており、同じ時期かもしれません。
円興寺境内には江戸時代に国分寺跡にあった国分寺堂が移されました。そして1886年、この由来により円興寺から国分寺に改名したのだそうです。
所在地:愛知県稲沢市矢合町(国分寺)
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