2013/03/17
塔ノ峰城/神奈川県箱根町
相模国境地帯の城跡・・・次は塔ノ峰城です。ここの城への道は久野林道を通ると書かれた方が多かったです。でも、久野林道がどこなのか分かりませんでしたw・・・ということで、Google Mapを見ながら「多分コノミチ」で行ってみました。
ルートは、まず最初に国道1号の「東風祭」交差点の1つ小田原側を北に曲がります。1回ヘアピンカーブもありますがそのまま進み、T字路を左へ。あとはそのまま道なりです。通った道は「威張山林道」と書かれていました。
途切れ途切れに未舗装の箇所もありました。割としっかりした路面でしたので、レーサータイプの私のバイクでも問題なし。
途中で2股に道が分かれる所があり、案内標識では「塔ノ峰」の文字もありました。ですが、そっちの道はゲートが閉じられ通行止めでした。
そこでiPhoneを取り出しGoogle Mapで位置を確認。当初思っていた道はそっちではなかったので、グルっと大回りしました。
更にまた道が分かれる所があり、案内標識には「久野林道」と書かれていました。ですが、そこもゲートが閉まっていて通行止め。
再度iPhoneで地図を確認。ナビな無くても、ある程度の山中までならネットも見れるので便利です。山城めぐりに限らず、デカケルトキハワスレズニ!という位便利です^^
地図を見て強羅方面につながる道と分かったのでパス。またまた道なりに進みました。
すると、またまた正面のゲートが閉まっている場所に出ました。すぐ脇には「塔ノ峰青少年の家」と書かれた板がありました。
そこに居た警備員さんが手でバッテンマーク。それは見れば分かりましたが、目標地点まであとわずか。ダメ元で歩きなら入ってもいいか?と訊いてみたら、あっさりok出ましたヽ(´ー`)ノ
この先で工事をやってるから気をつけるように言われ、ゲートの脇から徒歩で進みました。道路脇にあった工事の説明書きによると、工期は3月25日まで。それ以降ならクルマでも通れそうです。

▲通行止め
さて、徒歩での進入は出来たものの、距離は未知数。印刷してきた地図を見ながら歩いていましたが・・・5分で登城口に辿り着きました^^

▲登城口
登城口は林道が右へ直角に曲がっている所にあります。そこの案内標によれば、塔ノ峰まで15分!かなり近くまで来ました。
その脇に「久野」とも書かれています。途中通行止めだった道もここにつながっているようです。この道が皆さんの書かれた「久野林道」なのかもしれません。

▲塔ノ峰15分 久野の文字も
その道のこっち側にもゲートがあり、閉じられていました。通行止め区間につながっているということで通行止めにされたようです。
であれば、3月25日以降であれば通れるかもしれません。私はもう来ませんけどw

▲登城路
さて、意気揚々と登城路を見ると、一直線に上り坂。傾斜は緩いので余裕ぶっこいて登り始めましたが・・・重力に逆らうのってキツイですね

やっぱり山登りは大嫌いですw

▲開けた場所
10分ほど登ると一気に視界が開けます。そしてその先に数十mはあろうかという平らな場所があります。
もう着いたのか?と思いましたが、土塁や空堀といった遺構が見当たりません。どうやら単に木を伐採してあるだけのようです。

▲この蛇行は・・・
ちょっとガッカリしながらも進んで行くと、道がクネっと曲がってます。平地なんだから真っ直ぐ通せば良さそうなものを・・・!
ほとんど無いに等しいのですが、少しだけその道の脇が高くなっている・・・ような気が。もしかしたら、ここは食い違い虎口の痕跡なのかもしれません。

▲見たことにあるカタチ
更に進むと、今度は最近見慣れた地形が。通路の両脇が盛り上がり、その先が見えない造り。ここは郭の入口のようです。

▲内側から
反対側からは外の様子がよく見えます。やっぱりここが城の門の跡のようですね。さっきの曲がった所に何か仕掛けておけば、ここから狙い撃ちにできそうです。

▲説明板と三角点
そしてここから更に進むと説明板と三角点が。どうやらここが塔ノ峰の山頂のようです。この説明板には「山頂に北条の出城の痕跡があるようです」としか・・・
おーい、それだけかいwww
城跡っぽい痕跡も見れたので再び元のゲートへ。すると、警備員さんがもう1人増えてました。
どうやらこの先に城跡がある?という話題で盛り上がってたようでした。新手の警備員さんは少しは歴史に詳しいようでしたが、塔ノ峰城のことは知りませんでした。なので、知ってる限りのことをお話ししてバイバイしました^^
◆歴史◆
築城者は室町時代に当地を治めた大森氏と考えられています。箱根の山々を越える街道は幾筋かあり、塔ノ峰を通るルートもありました。その道が今は林道になっているようです。
大森氏は1416年にあった上杉禅秀の乱で手柄を立て、土肥氏に代わって当地を手に入れました。その後、箱根の各所に関を設けており、塔ノ峰城もその1つと考えられます。
その大森氏は1495年に伊勢宗瑞により小田原を奪われ没落します。伊勢宗瑞は今川氏とは親密だったので、西への備えはあまりせずに済んだかもしれません。
後北条氏が西への備えを意識したのは、武田信玄が相甲駿の三国同盟を破棄した1568年でしょう。信玄はこの年に駿河に攻め入り、今川氏真を追放しています。それ以後、武田信玄は何度か小田原にも攻め込みました。
塔ノ峰は強羅からの道が小田原城の真裏(水の尾)に直接通じています。今回は塔ノ峰の次に小田原古城へ行きましたが、ほぼ道なりに走って辿り着きました。
更に、1590年には豊臣秀吉が小田原を攻めています。後北条氏は箱根の各地にあった古城を整備してこれに備える動きがありました。虎口の形状から、塔ノ峰城もこの時に改修を受けたと思われます。
所在地:神奈川県足柄下郡箱根町塔ノ沢
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