fc2ブログ

鯏浦城/愛知県弥富市

鯏浦城跡には薬師寺があります。訪問日は2014年8月2日です。

鯏浦城/①薬師寺
▲薬師寺

城跡にある薬師寺は、城主・織田信興が念持仏としていた薬師如来像を本尊としています。寺号の「鯏浦山薬師寺」を見ると、ああなる程なんて思います。

鯏浦城/②城址碑
▲城址碑

この薬師寺の境内に城址碑があります。場所は本堂の右側で、大きなクスノキの根元です。すぐ脇には説明板もあり、お城の事も書かれています。


◆歴史◆

木曽川の河口部に島が点在していました。これらの島々は津島四家七苗字の一人である服部氏が支配していました。鯏浦城は市江島にありました。

1565年頃、滝川一益、織田信興が服部友貞の不在を衝いて侵攻し、鯏浦城を築きました。

服部氏はかつては尾張守護・斯波氏に仕えていましたが、織田氏には仕えず独立していました。織田信長の祖父・織田信定の代から争いが続いていたようです。今川義元が尾張に侵攻した桶狭間の戦で、服部友貞は今川義元に味方していました。滝川一益は織田信長に北伊勢への勢力拡大を進言し、中心となって指揮をしていました。織田信興は織田信長の弟です。

織田信長は服部氏の支配地域内に鯏浦城と古木江城を築き、織田信興を配置しました。荷之上城(服部氏の本拠)を、両城で挟む位置関係にありました。

1568年、織田方の刺客により服部友貞が討たれました。

服部友貞が北畠具教に年賀の挨拶をするため、伊勢・霧山城へ向かっている途中でした。織田信長の差し向けた刺客により追い詰められ、伊勢・米野の陰涼庵で自害しました。服部友貞亡き後も、服部党は織田信長への抵抗を続けました。

1570年、織田信興が戦死しました。

織田信長が本願寺と交戦状態になり、長島の門徒が蜂起しました。(長島一向一揆)この時に標的とされたのが、滝川一益と織田信興です。織田信興は古木江城に篭城して織田信長と滝川一益に援軍を要請しました。しかし、織田信長は近江で浅井・朝倉連合軍と交戦中でした。また、滝川一益は桑名城で一揆勢に城を包囲されており、援軍を出すことが出来ませんでした。古木江城は包囲されてから6日目で落城し、織田信興は自害または討死しました。

古木江城および鯏浦城がその後どうなったのかは不明です。1574年の第三次長島侵攻の際、織田軍が鯏浦の一揆勢と戦っています。おそらく、一揆勢が鯏浦城を拠点として使っていたのではないかと思われます。その年の9月、長島一向一揆は鎮圧されており、鯏浦城は存在意義を失っています。

その後、城跡に織田信興の念持仏である薬師如来像を納める薬師堂が建てられました。明治時代、この薬師如来像を本尊とする薬師寺が建立され現在に至っています。


所在地:愛知県弥富市鯏浦町(薬師寺)

愛知県の城跡/なぽのホームページを表示

コメント

非公開コメント

プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

ホームページ紹介

なぽの城跡巡り・トップページ
これまで私が訪ねた城跡を紹介しています。ブログで紹介したお城もすべてココから見に行けるようになっています。是非遊びに来て下さい!

北海道・東北地方
関東地方
中部地方
近畿地方
中国地方
四国地方
九州地方・沖縄

プライバシーポリシー
本サイトについて
お問い合わせフォーム



検索フォーム

QRコード

QR