2015/08/16
古木江城/愛知県愛西市
古木江城は鵜戸川の東岸にありました。訪問日は2014年8月2日です。
▲鵜戸川
地図を見ると、田んぼの真ん中に川が1本流れており、その脇に城跡があります。道は県道なので名前(番号w)が付いており、位置はとても分かりやすいと思います。城跡の脇に川があり堀の役割をしていたのかも、ということで撮りました。

▲富岡神社
県道の橋から川沿いにある砂利道を4、50m程走ると、広いスペースに出ます。こちら側が神社の正面らしく、鳥居があります。立派な県道はかつての道とは違う位置につけられたのでしょうか?

▲城址碑と説明板
神社の鳥居の脇に城址碑と説明板があります。城址碑はツルピカの立派な石ですが、文字の所が色違いになっています。これだと光の加減で反射しまくっても、文字がちゃんと読めますヽ(´∀`)ノ
◆歴史◆
1565年頃、織田信興により築かれました。
織田信興は織田信秀の七男であり、織田信長の弟です。滝川一益とともに戦い、服部友貞の伊勢長島城を攻略しました。服部氏は津島の南・河内の独立勢力で、桶狭間の戦では今川方として参戦していました。服部友貞を破った織田軍は、服部氏の領内に古木江城と鯏浦城を築きました。古木江城は「小木江城」とも標記されます。
1567~69年にかけ滝川一益が伊勢を攻略し、北畠氏を滅ぼしました。
1568年、服部友貞が霧山城の北畠具教を訪ねた際、織田方により殺害。
残された服部党は、その後の長島一向一揆で一揆方として参戦します。
1570年、落城しました。
織田信長が石山本願寺と戦を始めたことにより、長島で一向一揆が起こりました。古木江城は長島城の対岸にあり、一揆勢に真っ先に包囲されました。織田信興は織田信長や滝川一益に援軍を求めましたが・・・織田信長は浅井・朝倉連合軍と比叡山で戦っている最中でした。また、滝川一益も桑名城で一揆勢に包囲されており、援軍を出すことが出来ませんでした。織田信興は6日めに力尽き、天守で自害、または突撃して壮絶な討死を遂げたともされます。
落城後の古木江城ですが・・・よくわかっていません。1574年の第三次長島侵攻の際、織田軍が小木江村の一揆勢と戦っています。おそらく、一揆勢が古木江城を拠点として使っていたのではないかと思われます。その年の9月、長島一向一揆は鎮圧されており、古木江城は存在意義を失っています。
所在地:愛知県愛西市森川町(富岡神社)
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