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竜泉寺城/名古屋市守山区

竜泉寺城はお寺のある場所に築かれていました。訪問日は2014年8月3日です。

竜泉寺城/①龍泉寺
▲龍泉寺

奈良時代末から平安時代始め頃には既にお寺がありました。開基の由来は、エライお坊さんが龍神のお告げに従ってお経を唱えたら池から龍が・・・wこのお寺の目玉である模擬天守がチラっと見えます。

竜泉寺城/②模擬天守
▲模擬天守(宝物館)

模擬天守は開館日でなければ、上の写真のようにちょっとしか見えません。しかし、訪問した日が丁度開館日だったので、近くで撮ることが出来ました。開館日は日曜祝日です。

竜泉寺城/③模擬天守2
▲模擬天守(宝物館)

撮ることは出来たのですが、葉っぱでかなり隠れてます。季節を選びますねあせる模擬なので、どーでもいいと言えばどーでもいいのですがw

竜泉寺城/④対岸がよく見えます
▲対岸の眺望

ここにお城が築かれた理由。それはこの眺めの良さでしょう。庄内川の河岸段丘上にあり、対岸がとてもよく見えます。

竜泉寺城/⑤空堀
▲空堀?

模擬天守の裏に回ってみると、下の方に横一戦に窪んでいる溝が見えます。これ、横堀土塁ですよね?対岸から攻めて来た敵が簡単には上がって来れないように見受けられました。


◆歴史◆

延暦年間(782~805年の間)、最澄により龍泉寺が開基されました。

最澄が熱田神宮参籠中に龍神のお告げがありました。その通りに多々羅池畔で経文を唱えると、池から龍が昇天しました。その時に馬頭観音が現れたので、これを本尊としたのが開基とされています。・・・すっかり神話の世界ですが、お寺は現実に存在していますw

1556年、織田信勝により城が築かれました。

4月に斎藤道三が斎藤義龍との戦いに敗れて討死しました。これを受け、織田信勝は兄・織田信長の直轄地である篠木三郷を奪おうとしました。この「蔵入地」は春日井市吉田の辺りで、庄内川を挟んで龍泉寺の対岸の地域を指します。・・・ということは、竜泉寺城は篠木三郷を奪う前線基地として築かれたのですね!

8月、両者は稲生で戦い、織田信長が勝利しました。敗れた織田信勝は末森城に篭城しましたが、母・土田御前のとりなしにより赦免されました。

1557年、廃城となりました。

織田信勝は岩倉城の織田信安とともに、再度篠木三郷を奪おうとしました。しかし、柴田勝家がこの動きを事前に織田信長に通報。織田信長は病と偽って清洲城に織田信勝を呼び、謀殺しました。織田信勝の死により、竜泉寺城は廃城となりました。

1584年、羽柴秀吉が陣を置きました。

小牧・長久手の戦で、小幡城に進出した徳川家康に備え、羽柴秀吉が陣を置きました。この時に一夜にして堀を巡らせたと伝わります。模擬天守の裏にあったのは、この時のものかもしれません!羽柴秀吉は退却の際、陣に火をかけています。・・・この頃、お寺はあったのかと疑問が沸いてきます。

1598年、龍泉寺が再興されました。

密蔵院の僧・秀純により、龍泉寺が再興されました。


所在地:愛知県名古屋市守山区吉根 (龍泉寺)

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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