2015/07/25
一色城/名古屋市名東区
一色城跡には貴船神社と神蔵寺があります。訪問日は2014年8月4日です。
▲貴船神社の入口
柴田勝家の祖父が築いた一色城



▲神蔵寺の入口
その東隣に神蔵寺があります。その入口は二又に分かれています。車で上がれる坂の左側は、階段状になっています。これはもしや、郭の跡でしょうか


▲神蔵寺の本堂
階段を登り切った所に神蔵寺の本堂があります。真新しい本堂よりも、手前の鐘に目が行ってしまいます。なぜって、櫓に見えますから。そろそろ眼科に行かないとダメでしょうか?www
◆歴史◆
柴田勝重により築かれました。
柴田勝重は柴田勝家の祖父に当たります。しかし、それ以前の出自は不明です。一色氏の一族で、越後の新発田から移って来たなんて説があります。どこまでが本当かわかりませんがw
築城を命じたのは尾張守護の斯波氏で、駿河の今川氏に備えたものだそうです。この「斯波氏」は斯波義寛かその子・斯波義達、またはその両名と思われます。今川氏親が斯波氏の領国である遠江に侵攻し始めたのが、斯波義寛の代の1494年です。代替わりした斯波義達も、遠江を巡って今川氏親との戦を続けます。しかし、遠江遠征に反対する守護代・織田氏との間で、次第に対立が生じました。そして1515年、斯波義達が今川軍に大敗して捕虜となりました。斯波義達は今川氏親の情けにより、剃髪のうえ尾張に帰されました。一国の主が捕まった上、坊主頭にされて帰されるなんてかなりの屈辱ですね!これにより、斯波義達は尾張国内での支配力を失い、織田氏が台頭するきっかけとなりました。
一色城が築かれた頃の尾張は、こんな感じだったと思います。「一色城」でググッてもサッパリだったので、城跡にある「神蔵寺」でググッてみました。そしたら詳しいの出てきました^^
神蔵寺は柴田勝重が1501年に城内に建立したのだそうです。草創開山は雲岫麟棟和尚で、曹洞宗なのだとか。そして、柴田勝重は1503年7月2日に没しています。・・・てことは、築城は1494年から1501年の間ですね

柴田勝重の孫とされる柴田勝家は、1522年か1526年か1530年に、近くの下社城で生まれました。柴田氏はこの辺り一帯の防衛を任されていたんですね!ただ、柴田氏は勝家以前がサッパリで、勝重の子で勝家の父親の名がわかりませんでした

柴田勝家が生まれた後も、一色城は城として使われていたようです。1584年にこの辺りで小牧・長久手の戦があり、その時に羽柴軍により焼かれています。柴田一族の誰かが織田信雄配下として参戦していたのでしょうね。
所在地:愛知県名古屋市名東区一社3丁目(神蔵寺・貴船神社)
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