2015/07/17
鳥栖城/名古屋市南区
鳥栖城跡には成道寺があります。訪問日は2014年8月4日です。
▲成道寺山門
成道寺は「じょうどうじ」と読みます。成田氏の菩提寺ということで「成」の字が入っているのでしょうか。住宅街の中にあって、ちゃんと立派な山門があります


▲成田夫婦の石仏
境内にひっそりあるのが、成田夫婦の石仏です。山門をくぐるとすぐ見えた・・・かと思います

◆歴史◆
応仁の乱の頃、成田時重により築かれました。
成田時重がどのような人物かわからず

1559年、廃城となりました。
廃城の経緯などサッパリわからず

1774年、城跡に成道寺が建立されました。
尾張藩士・成田甚右衛門は録を返上し、帰農しました。
尾張の成田氏というと、『のぼう様』こと成田長親が思い浮かびます。小田原征伐の後、下野国烏山に居たのですが・・・当主である成田氏長と不和になり、尾張に流れて来たのだそうです。しかし、こちらの成田氏は大光院を菩提寺としていますので、完全に別系統ですね。ということで、ここの成田氏は細々ながら続いていたということでしょうか。成道寺の寺伝では・・・
『取隅城(鳥栖城)の城主・成田家の菩提寺が鶴松寺であった。尾張志によれば、天正2年(1574)春公和尚の時、改宗されたともある。これより200年後の安永時代に、鳥栖城主・成田甚右衛門は、「和を愛する」として、徳川家に禄高を返上し、刀を折り、武士を放棄して農民となった。安永3年(1774)、熱田秋葉山・円通寺15世代和尚の法地再興のねがいによって、曹洞宗・成道寺と改号せられた。(尾張徇行記)成田家は、菩提寺の廃寺を危惧し、鳥栖城跡に芳樹山・成道寺を再興したのである。』
国語苦手だったのでよくわからないのですが・・・菩提寺である鶴松寺が廃寺となったため、城跡に新たに寺を築いた、のだと思います

所在地:愛知県名古屋市南区鳥栖2丁目(成道寺)
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