2015/07/12
新屋敷西城/名古屋市南区
新屋敷西城跡には医王寺があります。訪問日は2014年8月4日です。
▲案内
城跡周辺はガッツリ住宅街となっています。お寺だからすぐ見つかるだろうという読みは甘く、しっかり迷いました。でも、この案内を見つけて生き返りました^-^

▲医王寺
斜めですw
◆歴史◆
山口氏の城でした。
築城年代はわかりません。城主として山口新太郎、山口明長の名が伝わります。城跡にある医王寺は1574年に開基されたとされています。
別名は鳥栖西城、新屋敷があります。すぐ東には山口氏の重臣・成田氏の鳥栖城がありました。こちらは1559年に廃城となっています。
ここからは推測です・・・
1552年に織田信秀が没すると、山口教継が今川義元に寝返りました。この時期に戸部城の戸部政直も今川方に寝返っています。尾張東部は今川義元との勢力境にあり、とても不安定だったようです。
しかし、山口氏全体が寝返った訳ではありませんでした。寺部城の山口盛重は織田方として戸部直政と戦っていました。
1559年に山口氏の重臣・成田氏の鳥栖城が廃城となりました。この年に鳴海城や大高城を囲む砦群が織田信長により築かれました。織田信長が山口教継の謀殺に成功したことにより、この辺りを制したのでしょう。
鳥栖西城とか新屋敷という別名は、おそらく成田氏が滅ぼされたためと思われます。城主となったのは、山口氏の一族・山口新太郎と考えられます。山口氏はその後も織田信長に仕え、寺部城を中心に栄えました。
1574年、城跡に医王寺が開基されました。
もう1人の城主と伝わる山口明長は、1570年の姉川合戦に参戦したそうです。その時どんな活躍をしたのか?はたまた討ち取られたのか?その辺はサッパリわからず。ただ、この戦で負傷した兵が、薬師如来の霊験により傷が癒えたのだとか。医王寺の本尊は薬師如来です。
所在地:愛知県名古屋市南区鳥栖1丁目(医王寺)
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