2015/06/07
東起城/名古屋市中川区
東起城(ひがしおこしじょう)は白山社となっています。訪問日は2014年8月2日です。
▲白山社
住宅街の真ん中にある白山社が東起城の跡とされています。ちょっとだけ高低差があり、これがお城の名残でしょうか。

▲白山社の周り
こうやって見ると、道が堀跡のように見えてきます。見えてきます、よね?
◆歴史◆
天正年間(1573~91年の間)、前田三郎四郎(長俊)により築かれました。
「東に起こす」とはよく言ったもので、前田本家の本拠から庄川を隔てた東側に当たります。そして、東起城は荒子城から南西2kmの所に築かれました。天正年間のこの時期、荒子城は城主不在となり廃城となっています。それは荒子城を支配していた同族の前田利家・利長父子が能登へ移ったからでした。何となくですが、その空いた領地を引き継いだものと思われます。だとすると、築城時期は1581年ということに。あながち外れてもいないと思いますが、推測ですw
1584年、廃城となりました。
築城されてすぐ・・・かもですが、廃城となりました。前田本家の領地で、歴史を左右する大きな戦があったからです。それが小牧・長久手の戦いの中で繰り広げられた「蟹江の戦い」です
前田本家は織田信雄に仕えており、その重臣・佐久間信栄に従っていました。当主・前田長定は佐久間信栄の居城である蟹江城、その弟・長俊は下市場城を守っていました。しかし、羽柴秀吉方である滝川一益の調略により、前田本家は揃って寝返りました。前田家と滝川家は婚姻関係もあり、とても近い関係にあったようです。
これは徳川家康の清洲城と織田信雄の長島城を分断する秀吉の策だったのですが・・・豊臣秀吉の援軍が来る前に、それぞれの城が攻め落とされてしまいました。徳川・織田連合軍は蟹江城と下市場城だけでなく、前田本家の城も次々攻め落としました。下市場城に出向いていた前田長俊の居城・東起城も攻め落とされ、破壊されました。この戦により、前田本家はほぼ壊滅してしまいました。前田城から脱出して生き残った前田長俊の子・長種は加賀へ落ち延びました。
所在地:愛知県名古屋市中川区東起町4丁目(白山社)
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