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島田城/名古屋市天白区

島田城は本丸が削られつつ残っています。訪問日は2014年8月4日です。

島田城/①道から見た所
▲道から見た所

島田城は道が城跡をこんな感じに貫いています。一応周囲より高かった、ということだけは分かりますよね。平城ですから高低差はせいぜいこんなものでしょう。

島田城/②通路
▲通路

手前の説明板の脇に階段があるので登ってみました。すると、奥へと続く通路が。本能のままに吸い寄せられて行くのでしたw

島田城/③階段
▲階段

何やらここ登れ的な階段が。あ・や・し・い~!と思いつつ、体が勝手に吸い寄せられて行きます。

島田城/④祠
▲祠

登った先には小さな祠が!常に手入れがされているように見えます。周囲に城主様のご子孫が大勢いらっしゃるようですね^^


◆歴史◆

1548年頃、牧長義が小林城の出城として築きました。

1548年、織田信秀は三河に攻め入りましたが、松平・今川連合軍に撃退されました。これが第二次小豆坂の戦いで、織田信秀は末森城を築いて居城を移しました。この時に牧長義が小林城を築き、その出城として島田城を築きました。島田城には一族の牧虎蔵を置いて守らせました。

地図で見ると小林城は古渡城の近くで、島田城はその南東7kmの所に位置します。松平・今川勢に備えて織田信秀が築き移った末森城も、小林城の東にありました。この配置は何となくですが、織田氏が牧氏を守っているように見えます。

牧氏は尾張守護である斯波氏の一族です。斯波義達の子・津川義長を祖とし、義長の子・長義から牧姓を名乗るようになりました。牧長義は織田信秀の娘を子の長清の正室に迎えています。つまり、牧長清と織田信長は義兄弟ということになります。

その後の島田城の様子はわかりませんでしたあせる

牧氏は島田城のすぐ北にある島田地蔵寺を菩提寺としています。1442年に建立されて何度か廃れたそうですが、1541年に牧義次により修築されています。また、1560年に戦火によって焼失しましたが、後に牧義汎により再建されています。

1560年といえば、桶狭間の戦いがあった年です。織田軍と今川軍が小競り合いを繰り返した大高城や鳴海城は、島田城の南西約6kmの所です。推測ですが、島田城も今川方に攻められたと思われます。

牧氏は牧長清の曾孫・盛永の時に岡村姓に改姓したそうです。そのため、支流の牧長正が牧氏を継承し、子孫は江戸幕府旗本として続きました。また、長正の孫である勝重は本家から分かれ、尾張藩士となっています。


所在地:愛知県名古屋市天白区島田5丁目

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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