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荒砥城/長野県千曲市

荒砥城は中世城郭の様子が復元されています。
訪問日はちょっと昔の2007年7月7日です。

荒砥城/①図
▲図 拡大表示

荒砥城への道は綺麗に舗装されており、バイクでも安心して登れます。訪問当時はクルマでしたけどwその駐車場に案内図の板があります。始めに書きますが、ここは有料です。

荒砥城/②入口
▲案内所の門

図に描かれている「案内所」です。冠木門と小屋があるだけで、簡単には通してくれなさそうな雰囲気を醸しだしています。・・・くれぐれも強行突破はなさらないで下さいネw

荒砥城/③城門
▲城門

さらにウネウネ登ると、先ほどよりも堅牢そうな城門が現れます。これが二郭のだったか主郭のだったか忘却の彼方ですが・・・あせるこんな門が2つもあると、突破するのは容易ではありませんね!

荒砥城/④建物
▲兵舎

・・・と書いたものの、兵舎はこれです。大人数は入れませんよねあせる主郭にも兵舎はありますが、篭れるのはせいぜい数十人といった所。荒砥城は本格的な防衛拠点というより、物見台か狼煙台といった性格だったのでしょうか。

荒砥城/⑤虎口
▲主郭の虎口

それでも、この虎口は見事なものです。規模は小さいながら、簡単には攻め落とさせまいとする決意が感じられます。

蛇足ながら、信濃の山城ではこんな感じの石垣が多いように思います。2013年の夏休みに長野をグルッと巡りましたが、夏ということで山城訪問を断念しています。行って見たい!と思った山城は、こんな感じの石垣がある所ばかりでした。

荒砥城/⑥再 主郭からの眺め
▲主郭からの眺め

主郭から千曲川方向を見た眺めです。両岸を山に挟まれた千曲川流域が一望のもとに見渡せます。見張り台としては最高の場所ですね!


◆歴史◆

1524年、村上氏一族の山田国政により築かれました。

村上氏一族の山田国政により、葛尾城の支城として築かれました。葛尾城は千曲川を挟んだ対岸にあります。この頃の村上氏は北の高梨氏、南東の海野氏と争って勢力を拡大している時期です。この時の当主は、まだ家督を継いだばかりの村上義清です。

1550年、武田軍に砥石城を攻められましたが撃退しました。俗に言う「砥石崩れ」です。この時の砥石城城代が山田国政でした。

1551年、砥石城が真田幸綱(幸隆)により乗っ取られました。城を守っていた矢沢頼綱が真田幸綱の弟でしたからねwww

1553年、武田軍に攻められ落城しました。

武田軍に攻められ落城し、山田国政は討死しました。その後、村上氏本拠の葛尾城も落城し、村上義清は越後へ逃れました。長尾景虎が村上領回復のため出兵し、葛尾城を一時的に取り戻しましたが・・・長尾軍撤退後、すぐに武田軍により奪い返されました。荒砥城には村上義清を裏切った屋代政国に与えられました。

その後、武田家滅亡、天正壬午の乱と信濃は荒れますが、屋代氏が城主であり続けました。

屋代政国の没年は定かではありませんが、甥の屋代秀正が家督を継ぎました。天正壬午の乱を経て、この辺りまで上杉景勝の支配地域となっていました。屋代秀正は海津城の副将として厚遇されていました。しかし、城主・山浦国清(村上義清の子)とは仲が悪かったとされています。

信濃府中の深志城は小笠原貞慶が支配し、上杉景勝と境界を争っていました。その係争地が荒砥城のすぐ西にある麻績でした。

1584年、廃城となりました。

1584年4月、室賀満俊とともに突然徳川家康方に寝返り、荒砥城に立て篭もりました。上杉方の山浦国清に攻められて落城し、屋代秀正は徳川家康のもとへ逃れました。主を失った荒砥城は、この時に廃城になったとみられます。

ところで、室賀満俊は屋代秀正とは実の兄弟でしょうか?屋代政国の弟が室賀満正で、屋代秀正は室賀満正の四男でした。屋代政国の子は皆討死したため、甥っ子を養子に迎えて家督を継がせていました。わかっている続柄と名前から何となくそんな感じがしただけですがあせる

1995年、城山史跡公園として整備されました。

5年も掛けて復元(開発?)したんだそうです。「城 = 白亜の天守」って短絡的発想に走らず、ちゃんと木造で整備されています。
こういう城跡は大好きです恋の矢ただ、当時が今整備されている通りなのかどうかはサッパリ分からず。たぶん残っていた遺構をもとに「復元」されたのかとは思いますが。


所在地:長野県千曲市上山田

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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