2015/04/29
古厩城/長野県安曇野市
古厩(ふるまゆ)城の跡地には正真院というお寺があります。訪問日は2013年7月31日です。

▲正真院
事前に調べた数々のサイトでは、古厩城の遺構は無いとのことでした。なので訪問する予定ではなかったのですが、近くを通るからと立ち寄りました。何となくですが、門の右脇の竹薮の中に何かありそうな・・・

▲土塁?
さて、次行くべぇと回れ右すると、城キチレーダーがピンッと反応しました。お寺の正面の田んぼの中に、横一線の茂みが。これって土塁でしょうか?土が盛ってあったり窪んでたりするのを見ると、ついつい病的に反応してしまいます

◆歴史◆
古厩氏の本拠地でした。
古厩氏は安曇郡一帯を支配していた仁科氏の一族です。築城年代はわかりませんが、古厩盛晴が築いたとされます。古厩盛晴は1500年代前半の人物です。
1552年、武田軍に降伏しました。
小笠原長時の林城を陥落させた武田軍は、深志城を改修して周辺の国人達を攻略しました。古厩盛晴も周囲の国人達と同様、武田軍に抵抗していましたが・・・小岩嶽城を攻め落とされた際に自刃しました。古厩盛晴の子・盛兼は武田軍に降伏しました。
1561年、主の仁科盛政が上杉軍に寝返りました。
第四次川中島合戦の際、上杉軍の調略により、留守を守っていた仁科氏の家臣が寝返りました。佐久方面で戦っていた仁科盛政は帰ることが出来なくなり、そのまま上杉家臣となりました。武田晴信は五男・盛信に仁科家の名跡を継がせ、新たな領主としました。
1583年、小笠原貞慶により古厩氏が謀殺されました。
武田家の滅亡、本能寺の変が立て続けに起こった後、松本は小笠原貞慶が制しました。古厩盛勝も小笠原貞慶に従うこととなりましたが・・・海野幸貞、赤沢経康とともに上杉景勝に内通したとして、松本城で謀殺されました。この時に廃城になったと思われます。
所在地:長野県安曇野市穂高古厩(正真院)
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