2015/04/06
枡形城/長野県小諸市
枡形城跡は温泉施設となっています。訪問日は2013年7月31日です。

▲温泉施設
枡形城の跡地には温泉施設があります。写真の通りで、遺構は望むべくもありません。山腹にある平地は、そこに何らかの軍事拠点があった?と偲ばせるのみです。

▲城址碑
そんなコンクリートで固められた温泉施設。確かこの敷地内に城址碑があった筈・・・と躊躇してたらありました!門からすぐの所にwwwしっつれいしま~す、と少しだけ入って撮らせて頂きました

◆歴史◆
1548年、武田軍に攻められ落城しました。
・・・いきなり落城ですがw
築城年代は不明です。
元々ここには神興寺があったそうです。
1543年に武田晴信が佐久に侵攻し、大井氏や望月氏を降しました。望月氏の当主・望月盛昌は自害しましたが、望月盛時は近くの楽巌寺城で抵抗を続けました。この時に神興寺の属する釈尊寺とその周囲の住民が、望月氏とともに武田軍に抵抗しました。そのときに神興寺を城砦に改修したものと思われます。
・・・とは言っても、地形がサッパリわかりませんwきっと小諸から楽巌寺城へ至る山道を押える要所だったのでしょう。
1545年になると、望月盛時は同族の真田幸隆に説得されて武田軍に降伏しました。真田幸隆が史料に登場するのはこの頃からだそうです。
その後も楽巌寺雅方や布下雅朝は抵抗を続けたため、武田軍により攻め落とされました。この時一緒に焼かれた釈尊寺は「牛に引かれて善光寺」の言い伝えがあるお寺だそうです。信玄どんも罰当たりな事をするもんですね・・・
楽巌寺雅方と布下雅朝は村上義清のもとに逃れ、更に抵抗を続けました。1553年に村上義清が越後へ落ちた時に降伏し、以後は武田軍の望月隊に属しました。
所在地:長野県小諸市大久保
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