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駒形城/長野県佐久市

駒形城跡には駒形神社があります。
訪問日は2013年7月30日です。

駒形城/①駒形神社参道
▲駒形神社への参道

駒形神社の参道からは、台地状に地形が盛り上がっているのが見えます。
そして何やら水の流れる音が・・・

駒形城/②神社の前の川
▲神社の前を流れる川

参道を進むと、神社の台地手前を川が流れています。
川が流れているのは5m程下で、天然の堀の役割をしています。

駒形城/③上から見た所
▲上から見た所

橋を渡って真っ直ぐな階段を登り、回れ右して見えた風景です。
写真ではあまり高く見えないのですが、かなり高低差があります。
ここで敵を迎え討つ構造だったのでしょうか。

駒形城/④駒形神社社殿
▲駒形神社の社殿

階段を登った所は地面が平らにならされ、神社の社殿があります。
こじんまりしてますがかなり古いらしく、重要文化財に指定されています。

駒形城/⑤駒形神社の裏
▲神社の裏

そして遺構は無いかとウロウロしたら・・・
神社の裏側は、表とは対照的な平地で、一面に畑が広がっていました。
この構造は、南側からの攻撃に備えた崖端城だったということですね。


◆歴史◆

築城年代や城主など不明ですあせる

ヒントはWikipediaの「駒形神社」で「1486年に大井政継により再興された」と書かれている位。
ただし、大井政継は1511年生まれ、その父親である大井信隆が1485年生まれです。
周囲は大井氏の支配地域なので、復興するとすれば大井信隆の父親か祖父でしょう。

これは神社としての再興なので、お城だったとするともっと古い時代ということになります。
社殿の残された棟札で一番古いのが1486年なので、社殿が朽ちたか焼けたかしたのでしょう。
村上顕国が大井宗家を滅ぼしたのが1483年なので、そういうことだったのかもしれません。

駒形神社は一般に馬を祀っており、馬に関する施設が近くにあることが多かったようです。
祭神は騎乗の男女神像で宇気母智命なのだとか。
付近には木曽義仲四天王の1人である根井行親の館跡があります。
根井行親は軍馬を多数保有しており、駒形城辺りが牧場だったとされています。
これが平安時代末の頃の事です。

大井氏による復興までの間に300年の月日があります。
根井行親が牧場の繁栄を願って神社を勧請し、廃れた神社を大井氏が復興したということかも。
大井氏がお城を構えていたとすると、敵は伴野氏を想定していたということになります。
大井氏と伴野氏はその後も対立しているので、この時期に廃城にするのは変な気がしますがあせる

・・・Wikipediaの「一説に、ここには中世の城郭があり」という一節が引っ掛かりますw


所在地:長野県佐久市塚原

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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