fc2ブログ

小山田城/東京都町田市

3月2日の3箇所目は小山田城跡。
・・・iPhoneに頼りながら辿り着きましたあせる

お寺が居館の跡で、その背後が城跡。というのを意識して撮りました。

小山田城/大泉寺
▲居館跡の大泉寺の背後が城跡

このような造りを殿谷戸(とのやと)形式というんだそうです。関東武士の館では一般的なんだとか。

小山田城/城址碑
▲本堂の左側に城址碑と小山田氏懸賞碑がある

そして、本堂の左側には城址碑が合格シンプルですが、こういうモニュメントは大好きです。

来る前に参考にしたサイトでは、ここの城跡を見るにはお寺の許可が必要らしい。さあ、お寺の方に会おうかな・・・と思いましたが、盛大に読経中。さすがに居ないかなー・・・なんて諦め掛けましたが、お寺の方いらっしゃいました。

"裏の城跡を見させて下さい"

そうお願いした時、最初は何となく否定的な感じでした。城跡に火をつけられる騒ぎがあったとかで。それ以来、警察も見回りに来るようになったそうです。しかも、この方は住職ではないので、一存ではきめかねる、とも。最終的には快く許可を頂くことができました。

無断で入山した場合、警察沙汰になっても文句は言えませんねあせる

小山田城/無断入山禁止
▲登城路の入口には無断入山禁止の立札

許可を頂いて見る城跡って、何だか特別な気分です。誰も居ない城跡。人様の土地なのに、なんだか殿様気分ですw

小山田城/二重の堀切
▲二重の堀切

城跡の道はよく手入れされていて、とても歩きやすかったです。地面も何だかフカフカで。ウッドチップを敷き詰めた道を歩いてるような感じでした。

遺構のある所には「堀切」などの目立たない標柱があり、とても親切です。それと、2~3mおきに並べられた羅漢像。それぞれ表情が違うので見飽きません^^

小山田城/本丸の入口
▲本丸の入口

ぐるっと回り込むように歩いて、かなり奥に「本丸」の標柱が。入口は土塁で壁のようになっていて、中の様子が見えません。俗に言う「馬出」なんですね!

本丸にも外周に沿って羅漢様が並べられていました。一番奥は輪のように並んで見えて、井戸端会議をしているようにも見えました。本丸を出てすぐの所には虎口もあります。この辺は後北条氏の城に見られる形式なんだそうです。


◆歴史◆

小山田城は1171年に小山田荘の別当となった秩父有重により築かれました。有重は地名をとって小山田姓を名乗るようになります。小山田氏をはじめとする秩父一族は源平合戦での働きが評価され、広大な領地を得ました。

小山田一帯はこの頃に2男の重義が継ぎ、3男・重成は稲毛庄を、4男・重朝は榛谷御厨など、一族で武蔵国の南西部一帯を支配する程の勢力となりました。

ですが、この隆盛は長くは続かず、1205年の畠山重忠の乱に巻き込まれて一族は滅亡します。5男・行重は飛び地であった甲斐の所領に居て難を逃れ、郡内小山田氏として家名を継ぎました。

しかし、ここでちょっとした疑問が・・・小山田有重の館跡にある大泉寺。1227年に有重により開基されたと伝わっています。源平合戦の頃には隠居しており、政争に巻き込まれずに生き残ったということでしょうか。開基は5男・行重であるという説もあり、こちらの方が現実的かもしれません。

鎌倉時代の小山田城は北条氏の持ち城となったようです。鎌倉幕府を滅ぼそうと新田義貞が挙兵した際には北条泰家が籠城。最終的には落城しています(1333年頃)。この時は義貞の配下として小山田高家が活躍しています。

室町時代になると扇谷上杉氏の領地となりました。1476年に長尾景春が乱を起こすと、太田道灌は小山田城に大改修を加えました。しかし、翌年には景春方の軍勢に攻め落とされました。

後北条氏の時代になると、小山田弥三郎が小山田荘を領していたようです。これは1559年の『小田原衆所領役帳』に「他国衆」として登場します。この頃の郡内小山田氏は武田晴信の家臣になりつつも、半ば独立した勢力でした。後北条氏としては是非とも味方につけたい勢力だったと思います。

この「弥三郎」は小山田信茂という説が濃厚です。しかし、1566年に信茂は花押を武田流に改め、武田家臣としての立場を強調。実態は無いものの、ご機嫌をとるためのものだったのかもしれません。

その後北条氏は1590年に滅亡。遅くともその頃には小山田城も廃城になったと思われます。


所在地:東京都町田市下小山田町

東京都の城跡/なぽのホームページを表示

コメント

非公開コメント

プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

ホームページ紹介

なぽの城跡巡り・トップページ
これまで私が訪ねた城跡を紹介しています。ブログで紹介したお城もすべてココから見に行けるようになっています。是非遊びに来て下さい!

北海道・東北地方
関東地方
中部地方
近畿地方
中国地方
四国地方
九州地方・沖縄

プライバシーポリシー
本サイトについて
お問い合わせフォーム



検索フォーム

QRコード

QR