2015/03/29
小田井城/長野県御代田町
小田井城跡は畑になっています。訪問日は2013年7月30日です。

▲城址標柱
小田井城のあった所は一面の畑となっています。
その真ん中にポツリと標柱が1本立っています。
カッコして井戸跡とは書かれていますが、それらしきものは見当たらず・・・

▲説明板と堀跡
さらに別の場所には外れ掛かった説明板があります。
・・・1年半前でこの状態でしたが、まだ健在でしょうか?

そして、その後ろには立派な堀跡が見えていますヽ(´∀`)ノ

▲堀跡
かなり埋められていて、手前側は完全に埋まっていますが、奥の方はまだ堀だとわかります。
こんな感じの堀跡が数本見られました。
埋めるのが大変だったのか、堀を畑どうしの境目に利用したのか・・・
何にせよ、こうして旧状が偲ぶことが出来るのはありがたい事です。

▲土塁
さらに、畑の奥には土の壁が見えます。
城の外周を囲んでいた土塁です。
これ以上は見つけられませんでしたが、確かにお城があったことが感じられました

◆歴史◆
1520年頃、小田井氏により築かれたとされます。
小田井氏は大井氏一族ですが、村上氏に仕えていたようです。
1483年に大井氏の宗家が滅ぼされていますが、庶流各氏はそのまま村上氏に降っています。
この頃は伴野氏が勢力を拡大しつつあり、村上義清とたびたび戦っています。
村上氏勢力の東端に位置するため、かなり重要な拠点だったと考えられています。
1544年、武田晴信に攻められますが、最後まで抵抗しました。
前年に大井貞隆の大井城が武田軍に攻め落とされ、更に逃れた先の長窪城も落とされました。
大井貞隆は甲府に送られた後の消息がわかっておらず、弟の大井貞清が家督を継いでいます。
大井貞清はその後も内山城で武田軍への抵抗を続けています。
小田井城では小田井又六郎・一郎左衛門兄弟が最後まで抵抗し、板垣信方に討ち取られました。
1547年、小田井原合戦があり、武田軍が関東管領・上杉憲政軍を破りました。
武田軍が抵抗を続ける志賀城を攻めていました。
志賀城主・笠原清繁は関東管領・上杉憲政に援軍を要請。
先に同族で上野国の菅原城主・高田憲頼が援軍として城内に入りました。
その後、長野業正は反対したものの、関東管領軍が碓氷峠を越えて来ました。
両軍は小田井原で激突し、武田軍の一方的な大勝となりました。
この戦で討ち取った3000の首を志賀城の周りに並べたため、
城兵の士気が落ちて落城しました。
・・・たぶん小田井城の近くで戦ったのでしょうね。
1582年、依田信蕃により攻め落とされました。
武田軍に攻め落とされた後の様子は不明ですが、1582年に攻め落とされています。
そのため、武田軍により城として使用されていたと思われます。
所在地:長野県北佐久郡御代田町御代田
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