2013/03/03
小野路城/東京都町田市
2発目は小野路(おのじ)城。昨日は5箇所の城跡を巡ったのでした。
全部書くかは気分次第・・・
登城路はいくつかあるようです。東には萬松寺からの道、西には小山田緑地から登城路があるそうです。
私は南から。県道156号の「野津田高校入口」交差点脇から北に伸びる細道に入ります。舗装はされていますが道は狭く、車同士の離合はできません。
数百m進むと道の右手に墓地があり、その数十m先からは未舗装となります。私のバイクはレーサータイプなので当然無理。Uターンして、未舗装になる少し手前の道路脇に停めました。

▲城址東側にある南北の道は未舗装
オフロードタイプのバイクか軽自動車なら、注意深く走れば進めそうな感じです。そこから5分程歩くと道の左側に立札が。

▲入口の脇にある説明板

▲説明板
そこには小野路城について簡単な説明が書かれていました。その10m程先には杭を横たえた階段があり、そこから城址に入ります。

▲本丸入口には小さな鳥居と小さな社
50m程進むと写真の鳥居と社がありました。何という名前だったのかは見ていません。「お賽銭取るな!」みたいな事が書かれていました。

▲本丸
社の後ろにはちょっとした広場があり、そこが本丸跡です。社の右手には、1m程の高さの土塁があります。本丸の奥には左へ細道が。

▲本丸の南側には細長い広場が
すると通路の左側(本丸の南側)にかなり広い広場があります。木が無いのですが、畑という訳でもなさそうです。管理者の方の手入れが良いのでしょうか。
更に奥に進むといくつか削平地や堀切らしき窪みが見られます。長い年月の風雨でだいぶ崩れているのでしょうが、"城だな~"という雰囲気があります。
◆歴史◆
さて、このお城は都内では最も古い部類の城跡なのだとか。1171~74年の間に小山田有重により築かれました。有重は小沢城の稲毛三郎重成、榛谷郷の榛谷四郎重朝の父親です。
1171年に秩父有重が当地の別当となります。有重は小山田城を築いて本拠とし、小山田姓を名乗るようになりました。
有重は小山田城の支城として、東約2kmの所に支城を築きました。これが小野路城で、城主には次男の小山田二郎重義を置きました。嫡男は夭逝しており、事実上の後継者です。
小山田一族は源平合戦では源氏方につき、鎌倉幕府初期の重臣となりました。しかし、頼朝が没すると状況が一変。北条政子の父・北条時政の専横が始まり、主だった重臣達が次々と粛清されました。
小山田一族も例外ではなく、1205年の畠山重忠の乱の巻き添えを喰って滅ぼされました。この時に難を逃れた有重の子が甲斐に土着し、小山田信茂の代まで続いたとされます。
小山田氏がこの地を去ってからも、城は軍事拠点として使われ続けていました。室町時代の1476年にあった長尾景春の乱では扇谷上杉氏の城でした。城主は不明で、長尾軍に攻め落とされています。
所在地:東京都町田市小野路町
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