2015/03/12
馬越城/長野県佐久穂町
馬越城は林道脇に説明板があります。訪問日は2013年7月30日です。

▲林道脇に説明板
馬越の集落から更に奥に入る道があります。
どこをどう通ったか覚えていませんが

たしかこの辺?って感じで1本ずつ道を走ったような気がします。
そんなこんなで「見つからなかった」と諦め掛けた時に、この白い板を発見しました。

▲説明板
せっかくなのでアップします。
この説明によると、西の大石川と東の山に挟まれた平地を4条の堀切で仕切っていると。
何となく想像できますが、とても珍しい形態のお城だったんですね。
戦略的拠点とするには、ちょっとこころもとない感じがします。
西の川は断崖なのですが、東の山からは見下ろせますからね。
お城だったという感じがあまりしません。
城主等不明なので、戦で一時的な陣が築かれたのか、里人の避難所かもしれません。

▲城内の様子①
それでも当時の私はパチリパチリと何やら撮りまくっています。
本当に何も無い所では1枚で終わることも珍しくないのですが。

▲城内の様子②
地面の起伏を見つけたとしても、写真にするとただの藪にしか見えず。
・・・木の陰からこちらを見ている人影が見える!ってのはナシですよ



◆歴史◆
全くわからず

現地の説明板に書かれていたのは地形の事ばかり。
これは線路を挟んで東側にあった蟻城も同じです。
城主はおろか、どんな戦があったのか等は全く書かれていません。
ググってみてもやっぱり同じ。
というか、書いてる方殆どいません。
場所が分かりづらいせいなのか、興味を持たれないのか。
遺構があるらしいのですが、私の目は節穴でした(@ _ @);
なので、周辺の出来事でも書いておきます。
ここら辺りは鎌倉時代より伴野氏が支配していました。
伴野氏は戦国時代に入ると勢力を北に拡大し、1479年からは大井氏と争うようになりました。
この争いで伴野氏は南の武田氏、大井氏は北の村上氏を味方につけています。
そのため、武田信虎はたびたび佐久郡に侵入し、大井軍や村上軍と戦っています。
両軍の争いは1479年頃に始まり、1553年に村上義清が越後に落ちるまで続きました。
結構長い間戦が続いたんですね。
西の馬越城と東の蟻城の両方を押えると、南北の交通を遮断出来そうです。
・・・かなり強引な説ですが

あまり明確な遺構が無いので、一時的に陣が置かれただけなのかもしれません。
所在地:長野県南佐久郡佐久穂町千代里馬越
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