2013/03/03
沢山城/東京都町田市
金曜日はとても暖かく「春が来た!」って感じでした。それとともにスギ花粉も一気に飛んだようで・・・
相模-甲斐国境の山城見に行こう!って思ってましたが、予報では気温は低め。
気分を切り替えて、まだあまり見に行ってない東京都下の城跡を見に行きました。
1発目は沢山城。「たくさんじょう」と読むそうです。その名の由来が気になります。別名は三輪城です。
ここに来る時にも迷子スキル発動。全然違う山をひたすら「遠景」として撮ってました

三度目の正直で撮ったのが↓

▲南にある公園から
南側にある沢谷戸自然公園から撮りました。正直なところ、道に迷って偶然撮れたのですが

色んなサイトに「南側の分譲地が売れずそこに駐車」と書いてありました。そこは見ていないので、現在どうなのかは不明。堂々と駐車できそうな場所が見つからなかったので、バイクを端に寄せて路駐しました。

▲大手らしき道を登った東から
ぐるっと東側に回り、うねうね曲がった細道を登るとそれらしき所に。人口的な段差のある地形。この段差の上が3郭です。

▲「公園ではありません」の立て札はGoogle Mapの誤記が原因かも
それらしき細道を進むと、それらしき入口が。Google Mapでは「沢谷戸自然公園」と表記されていますが、私有地です。公園は城跡の南側です。
「撮影は道から」「団体での入山は断ります」などなど、地主様の立て札が随所にあります。きっと過去にトラブルがあったのでしょう。簡易ではありますが、入ってほしくない所はハッキリ示されています。立入禁止にされないよう、疑わしい行動はつつしみましょう。

▲3郭と2郭の間の堀。かなり埋まってます
入口から進むと、かなり広い削平地が見えます。梅に気を取られていましたが、ここが3郭です。

▲2郭と4郭の間の堀切!萌えますw
2郭に入るとだんだん城跡っぽい雰囲気に。右側にある4郭との間には、くっきりと堀切が残されています。

▲2郭と主郭の間の堀切ヽ(´ー`)ノ
そして遂に主郭に。主郭と2郭はS字形の堀切で区切られています。こういうのを見るとテンション上がります!(よね?)

▲主郭にある物見台跡には七面堂があります
その堀切の主郭側にはひと際高い物見台らしき場所が。小さな鳥居と小さな祠の七面堂。「七面」とは「七面大明神」のことで、法華経を守護する神様なのだとか。元々この城跡は、日蓮宗妙福寺が江戸時代にここの地主様に譲ったもの。今でも欠かさず毎年お祭りをしているそうです。

▲主郭の東側は見晴らしの良い断崖
主郭の東と南は断崖。ここも舌状台地の先端を利用したお城だったんですね!今は木々が生い茂っていますが、見晴らしがとてもよさそうです。

▲主郭から見た腰郭。城跡!って感じです
その断崖の下にはちょっとした広場が。主郭の東側を守る腰郭のようです。
◆歴史◆
このお城も築城年代や城主については不明です。色んなサイトで唯一の資料として挙げられているのが、北条氏照の印判状1通のみ。肝心の発行年月をはじめ、欠字の多い書状です。
その書状の内容は「當郷之馬共悉相集、三輪ヘ罷 ■■筑前手代ヨリ請取、江之■迄可相届候、大事之御城米」
現代風に訳すと「馬を全部集めて三輪へ行き、■■筑前から米を受け取って江之■まで届けよ」・・・かな?「■■筑前」は別の「北条氏照書状」から「大石筑前守」と推定されるそうです。
あと「江之■」なのですが、こちらは諸説飛び交ってます。一番多かった説が「江ノ島」。豊臣秀吉の小田原征伐に備えて、兵糧米を江ノ島から船で小田原に運ばせた、という説。もしそうであれば、各地の城に同じ内容の書状が発行されていそうですね。その辺の考察までは見当たりませんでした。
他には「榎下城」や「江戸城」など。当時の書類は地名・人名とも当て字で書かれることが多いので、色々考えられます。
所在地:東京都町田市三輪町
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