2015/02/22
殿島城/長野県伊那市
殿島城は公園になっています。訪問日は2013年7月29日です。

▲説明板の図 拡大表示
公園にあった説明板の図を拝借しています。
なんだか古墳の方が目立ちますねw
あとは本丸を二重三重の堀が囲んでいるような。

▲櫓門
公園は住宅街にありますが、ちゃんと土塁で囲まれています。
しかも、伊那では初めて見る高い土塁です。
テンション高め

虎口と思しき所には櫓門があります。
これは模擬なのでしょうけど、雰囲気ピッタリです^-^。
ただ、足元のコンクリートを石垣で隠してくれるとベターです。

▲二重の堀
公園に入って早速見つけたのが波打つ土。
こ・れ・は・・・二重の堀跡ですね!
土のお城では敵兵を寄せ付けない工夫がいくつも見られて

じつは畑の跡でした、ってのはナシで。

▲土塁
本丸をぐるっと囲む土塁です。高さもあり、迫力あります!
住宅街に囲まれながら、よくもココまで残ってくれたものです!

▲城址碑
そして、コレがあるからもう言う事なし!
石碑マニアではありませんが、城跡に来たからには欲しい一品です。
ふにゃふにゃっとした字体がいい感じですね^-^
きっとなんたら体っていう書体の達筆な奴なんでしょうが・・・
教養無いので「わぁ、なんか知らないけどスゴイ(・∀・)」と言うのが精一杯です

◆歴史◆
戦国時代に殿島重国が居城としました。
築城年は定かではありません。
殿島重国は春日城主・伊那部重慶の次男で、天文年間(1532~55年の間)に分知されました。
父親の伊那部重慶が春日城に入ったのが1534年なので、そこから少し間はあると思います。
1556年、廃城になったと思われます。
1556年、城主の殿島重国が武田信玄に処刑されました。
兄の伊那部重親をはじめ、他の伊那衆ととも武田軍に捕まり、伊那狐島で処刑されました。
一緒に処刑されたのは黒河内政信、溝口正慶、松島信久、宮田親房、小田切正則、上穂重清です。
彼らは武田軍が川中島で上杉軍と戦っている間に、信玄の娘が嫁いだ木曽氏を攻めたのです。
そのため武田軍に捕まり、処刑されて晒し首となっていました。
黒河内氏と溝口氏の領民が夜陰に紛れて首を奪還したのですが・・・
暗くてどれが自分の殿様の首か分からず、一緒にあった8つの首をまとめて奪還したそうです。
領民たちは、溝口正慶の居城だった艮城の近くに8人を弔いました。
現在は八人塚と呼ばれる石碑が建てられ、毎年春と秋に追善供養をしているそうです。
所在地:長野県伊那市東春近(殿島城址公園)
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