2015/02/10
松岡古城/長野県高森町
松岡古城は大きな木の下に標柱と説明板があるのみです。訪問日は2013年7月29日です。

▲目印になる大木
松岡城を見るついでで来ました。
地図では三角形の池のすぐ右上にあります。
現地でも大きな木が目印になるので、迷う事は無いと思います。

▲味わいのある標柱
その大木の下に写真の標柱があります。
後ろの石柱は関係ないですけどw
城跡としての遺構は見当たらず、簡単な説明板があるだけです。
◆歴史◆
1062年頃、松岡貞則により築かれました。
松岡貞則は前九年の役(1051~61年)で滅びた安倍貞任の次男・仙千代とされています。
源頼義により父を討たれた仙千代は、乳母に連れられて市田郷牛牧村に辿り着きました。
この地に館を築き、後に郷民に推されて地頭になったのだそうです。
みんなこう書くのですが、安倍氏側からググっても出て来ないんですよね・・・
安倍総理が安倍貞任の弟・宗任の末裔ってのが出てきて「へぇ~」なんて思いましたがw
安倍氏に関する史料はかなり乏しいので、真偽の程は???です。
南北朝時代、新たに松岡城を築いて移りました。
松岡氏は小笠原氏と共に北朝方として活動しました。
天竜川東岸には南朝方の知久氏や香坂氏が居り、幾度となく戦となりました。
堅固な城を築くには十分過ぎる動機ですね!
その後、1588年に松岡貞利が改易されるまで、松岡氏が当地を支配し続けました。
詳しくは後ほど松岡城の方で書きます(* ^ー゚)
所在地:長野県下伊那郡高森町下市田
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