2015/02/04
神之峰城/長野県飯田市
神之峰城は山城ですが、本丸脇まで車で登れます。訪問日は2013年7月29日です。

▲略図 拡大表示
図は本丸脇の出丸の前の説明板に描かれています。
こうして見ると、郭という郭に何かしら建物が建っていますね。
結構山奥なんですけどw

▲久堅神社
一番雰囲気があったので、ここが本丸だと思っていました。
山城跡にある神社って、大抵主郭にありますからね。

▲城内の様子
出丸跡から回れ右をすると、本丸との間の堀底が道となっています。
こうやって見ると雰囲気ありますよね^-^

▲本丸
ただ、本丸はこんな感じです。
土塁や虎口などは見当たらず、こんもり高い平地に白い箱が乗っています。
脇に「本丸跡」なんて標柱立っているので、なんとか分かる感じです。
◆歴史◆
1533年までに知久氏により築かれました。
築城年は不明確ですが、史料に初めて登場するのが1533年です。
知久氏はそれまで麓の知久平城を本拠としていました。
時期は府中小笠原家が松尾小笠原家を甲斐へ追放する直前です。
知久氏は松尾小笠原家に味方したため、府中小笠原家から攻撃を受けました。
本拠を神之峰城に移した後も、知久平城は支城として使われ続けました。
1546年、知久頼元は飯田城の坂西伊予守と戦って版図を拡大。
上野の座光寺氏も配下に加わるなど、知久氏の最盛期を築き上げました。
1554年、武田軍により攻め落とされました。
1542年に武田軍は諏訪氏を滅ぼしましたが、知久氏は武田信玄に従いました。
1553年の第一次川中島合戦までは従いましたが、神之峰城に戻ると反武田の兵を挙げました。
高遠城主の秋山信友は兵を退くよう説得しましたが応じなかったため、鎮圧されました。
知久頼元や座光寺貞信らは生け捕りにされ、翌年甲斐で処刑されてしまいました。
頼元の子の頼氏・頼純は逃れ、徳川家康に仕えました。
武田軍に追われた知久氏の所領は、吉岡城の下条信氏に与えられました。
以後、歴史に登場しなくなることから、この時に廃城になったものと思われます。
これから先に知久郷を治めた領主は、知久平城を拠点としました。
所在地:長野県飯田市上久堅
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