2015/01/31
大井城/岐阜県恵那市
大井城跡は現在小学校となっています。訪問日は2013年8月2日です。

▲大井小学校
訪問前、大井城跡には小学校があって遺構が無い、というのでパスしようと思っていました。しかし、じっと地図を眺めていると、何となく地形に面影があるような・・・で来ました。沢山の城跡を巡る中で、行く・行かないの基準はかなりアバウトです。

▲小学校の北側
地図を眺めていて見ようと思ったのは、小学校の北側です。何となく急斜面になっている脇を川が流れている・・・きっと堀跡に違いないと思ったからです。そして、その現場が上の写真です。堀跡っぽく見えますよね?
◆歴史◆
1435年、原秀行により築かれました。
原秀行は土岐氏庶流で、土岐氏の初代美濃守護・土岐頼貞の兄・定親の玄孫です。この頃は信濃で小笠原政康と村上頼清が争っていました。この戦いに将軍・足利義教と関東公方・足利持氏も絡み、かなり大掛かりな戦となりました。そのため、美濃守護・土岐持益は、信濃に近い東美濃に原秀行を配置して備えたのでした。この戦いは将軍側が勝利して鎌倉を制圧し、暫く関東公方が不在の時期が続きました。
1473年、小笠原氏の城となりました。
応仁の乱では美濃守護・土岐岐成頼が西軍として京で戦い、斎藤妙椿が美濃国内で戦いました。この年に東軍の大将・山名宗全が没すると、斎藤妙椿は好機とばかりに京へ進撃しました。この動きを牽制するため、東軍方の信濃守護・小笠原家長が東美濃へ出兵しました。東美濃を制圧した小笠原氏は、大井城を東美濃支配の拠点としました。
1533年、岩村遠山氏の城となりました。
信濃守護・小笠原氏は、守護職を巡って府中家・松尾家と鈴岡家が争う内紛状態でした。そのため東美濃が手薄となり、岩村城を本拠とする遠山氏の支配地域となりました。ただし、この頃の遠山氏はよくわからないようで・・・時期的には遠山景前が当主と思われますが、誰もそうは書いていません。荒れ果てていた大井城は、遠山氏の家臣・藤井宗恒・宗守兄弟により整備されました。
1574年、廃城となりました。
武田勝頼が東美濃へ侵攻し、明知城を攻略しました。この時に大井城も攻め落とされ、そのまま廃城となりました。
所在地:岐阜県恵那市大井町内城
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