fc2ブログ

飯羽間城/岐阜県恵那市

飯羽間城にはたくさんの説明板があります。
訪問日は2013年8月2日です。

飯羽間城/①霧
▲霧

はじめの予定ではこの前日に帰宅するはずでしたが・・・初日に動かなくなって修理に出したバイク修理が1日延長(レンタカー借りました)。せっかく1日延びたので、時間切れだったり迷ったりした所を急遽追加しました。その1発目がここ飯羽間城です。

夜明け前に到着しましたが、なかなか明るくならず。濃い霧の中にうっすら周囲が見えて来たので、城攻めを開始しました。ちなみに写真の小山は、間違えて登りそうになった所です。Google Mapの航空写真で見たら、本物のすぐ左下にありましたあせる

飯羽間城/②案内
▲案内

それでも迷わなかったのは、こいつのお陰です。間違えた山の登り口を捜していたら、こいつが別の方向を指していました。

飯羽間城/③登城口
▲登城口

こいつはいくつかあったように記憶しています。その矢印に従って辿り着いた登城口です。何もなければスルーしそうな所です。案内の他に、何やら文字がビッシリ書かれた白い板が!近づいて見ると・・・

飯羽間城/④説明書き
▲説明書き①

飯羽間城について書かれていました!ここが登城口だと確信できたのはこいつのお陰でした。しかし、手書きなんて気合入ってる!

飯羽間城/⑤説明書き2
▲説明書き②

ちょっと登ると、再び説明書きが現れました。しかもまた手書き。頑張ってる方がいらっしゃるんですね!

飯羽間城/⑥説明書き3
▲説明書き③

でも、流石に三枚目になるとちょっち怖くなってきます。
しかも字ちっさいし・・・

飯羽間城/⑦大手道
▲大手口

更に進んでまた?と思いながら見てみると、ここが本丸への大手道だという案内でした。確かに雰囲気あるのですが・・・本来の登城ルートで歩きたい気がしたのですが・・・藪っぽかったので、そのまま綺麗な道を進みました。

飯羽間城/⑧説明書き4
▲説明書き④

まだまだ出てくる手書きの説明板。そんなに詳しくてどうする?という位に攻めてきます。しかも、内容ダブってないんですよね。中身覚えてませんけどあせる綺麗に1枚分にまとめたら名文になりそうですけどw

飯羽間城/⑨説明書き5
▲説明書き⑤

もはや呪文にしか見えなくなってきました

飯羽間城/⑩郭らしき形状
▲本丸

そんな呪文に殺られそうになった頃、正面に人工的な地形が現れました。ようやく本丸到着です。・・・とは言っても霧でよく見えませんでした。

飯羽間城/⑪慰霊碑
▲慰霊碑

お!城址碑!と思って近づいてみると・・・「飯羽間城諸将士三界萬霊塔」と彫られていました。ここで起きた悲劇を後世に伝えようということでしょうか。すぐ後ろには、倒れかけた板塔婆が。面白がって夜中に来ない方がよさげな雰囲気です。

飯羽間城/⑫本丸の様子
▲本丸の様子

さて、城内の様子を見ましょうか!と言っても、浅学な私には削平された本丸の郭ぐらいしかわからず。堀や土塁の類はきっとどこかに・・・

飯羽間城/⑬説明書き6
▲説明書き⑥

やっぱり本丸にもありました。本丸に無くてどうする?位の意気込みを感じます。ちゃんとよんだら飯羽間博士になれそうです(・∀・)

飯羽間城/⑭山の上に城の名前が
▲皆さん最初に載せてるのはこの写真

本丸攻略した!城址碑っぽいのもあった!説明書き沢山あった!でお腹一杯になったので下山して次の城跡へ。既に心ココに在らずといった感じでした。ふと脇見した山の上に何やら白い看板が。「飯羽間城址」と書かれていました。コレを撮らずにどうする?という感じの1枚です。

飯羽間城/⑮城址碑
▲その真下に城址碑

よく目を凝らすと、その真下に石碑がありました。近づいて見るとバッチリな城址碑ですヽ(´∀`)ノ本丸じゃなくて麓にあったんですね。

飯羽間城/⑯にぎやかな交差点
▲この交差点を目指しましょう

すっかり逆回りになっていますが、皆様が最初に辿り着くのはこの交差点です。私は真っ暗&濃霧で、着いた時には見えませんでしたがあせるここに辿り着くと「よし、行くゼ」と感じさせてくれる雰囲気がありますね^^


◆歴史◆

飯羽間城は岩村城を本拠とした遠山氏のお城です。鎌倉時代はじめ頃、幕府創立の功績により重臣・加藤景廉に遠山荘が与えられました。この人は全国に沢山の領地を持っており、長男の景朝が遠山荘に配置されました。そのまま土着して遠山姓を名乗るようになったのでしょう。

遠山氏は東美濃に一大勢力を築き上げ、遠山十八子城を支配していました。その中の1つが飯羽間城で、岩村城に最も近く、重要な支城だったと考えられます。

1574年、落城し廃城となりました。

いきなりですがあせる
この頃の東美濃は織田信長と武田勝頼が争っていました。この2年前に岩村城を手に入れた武田勝頼が、3万の軍勢で再び攻めて来ました。織田信長も3万の軍勢を出して応戦しましたが、山県昌景に退路を脅かされやむなく退きました。武田軍は遠山十八子城を次々と攻め落とし、最後に残ったのが飯羽間城でした。

この時の城主は遠山友信ですが、城内に突入した武田軍により土蔵で捕まったそうです。なぜ城主が土蔵で?武田側の資料では捕まえたことになっていますが・・・織田側の資料では遠山友信が寝返ったことにされています。

篭城していた350人の兵士は皆殺しにされたので、真相を伝える者が無かったのでしょうか。状況的には周りの城が全て落城し、織田の援軍も期待出来ませんでした。そうなると、降伏するか、城を枕に討死するかの二者択一ですね。そんな時に城主が土蔵に居たということは、監禁されていたのでしょうか。隠れるにしても、こんな小さなお城ではすぐに見つかりますからね。

遠山友信はそのまま甲斐へ連れ去られましたが、後日織田軍により処刑されたとされています。


所在地:岐阜県恵那市岩村町飯羽間

岐阜県の城跡/なぽのホームページを表示

コメント

非公開コメント

プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

ホームページ紹介

なぽの城跡巡り・トップページ
これまで私が訪ねた城跡を紹介しています。ブログで紹介したお城もすべてココから見に行けるようになっています。是非遊びに来て下さい!

北海道・東北地方
関東地方
中部地方
近畿地方
中国地方
四国地方
九州地方・沖縄

プライバシーポリシー
本サイトについて
お問い合わせフォーム



検索フォーム

QRコード

QR