2015/01/09
跡部城/岐阜県関市
跡部城跡は住宅街となっています。訪問日は2013年7月28日です。

▲地形はならされて遺構は見当たらず
地図を見て思い出すのは、ここに来るのを躊躇ったことです。遺構は無く、城址碑と説明板しか無いというので。しかも、城巡りのルートからもかなり遠くにポツリと離れていたからです。・・・でも来ちゃいました

道は細くて特に目印はありません。地図を見ながら「○本目の道を左折してまっすぐ」といった感覚で辿り着きました。

▲説明板と城址碑があります
周辺は住宅街となっており、綺麗に整地されていました。その住宅街のハズレが公園になっています。その道端に立派な城址碑と説明板が。迷いつつもやって来たのは、こいつらの魔力の賜物ですw
◆歴史◆
1541年、跡部頼利により築かれたと伝わります。
跡部氏は美濃守護・土岐氏の一族と伝わります。跡部頼利をはじめとする跡部氏の事跡については・・・
・1552年、斎藤利政(道三)が土岐氏を美濃から追放すると、跡部氏は斎藤氏に従った。
・1556年、斎藤道三・義龍父子による長良川合戦で、跡部氏は斎藤義龍に味方した。くらいしかわかりませんでした


1564年、織田信長による美濃侵攻の際に焼失し、廃城となりました。
お城は無くなったのですが、跡部氏は生き長らえたようです。詳しくも何もサッパリですが・・・一緒に焼失した恵利寺を再興したのが、跡部頼利の曾孫・大和尚物堂宗接禅師です。
所在地:岐阜県関市武芸川町跡部
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