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印食城/岐阜県岐南町

印食城跡とされる所には専光寺があります。
訪問日は2013年7月28日です。

印食城/①専光寺
▲専光寺

県道から1本路地を入った所に専光寺があります。立派な門構えと白い塀、鐘の足元の石垣にちょっとだけキュンとしましたラブラブあぁ、お寺巡りでも始めようか・・・なんて思いませんw山門脇に説明板がありますが、印食城については書かれていませんでした。


◆歴史◆

印食城でググって出てくるのは仙石次郎左衛門村上彦四郎義光の2人だけです。なのでこれ以上突っ込みようも無いのですが・・・とりあえず色々調べましたメラメラ

南北朝時代に村上彦四郎義光が妻を預けて吉野へ向かいました。

村上義光は信濃の武将です。後醍醐天皇の皇子・護良親王が吉野に逃れた際に召し出されました。吉野に向かう道中、どういう訳なのか妻も同行していましたが・・・乳母の居る才海寺に妻を預けて行くこととなりました。太平記には護良親王に付き従う義光の忠勤ぶりが描かれています。

最期は1333年、二階堂貞藤と戦って敗れ、親王が絶体絶命のピンチに陥った時の事。親王が落ち延びる時間稼ぎをするため、義光は親王の鎧を身に纏って身代わりとなりました。さらに、義光の子・義隆も親王に付き従って満身創痍となり、力尽きて自害しています。

その知らせを聞いた乳母は悲しみの余り自害したそうですが・・・妻は天寿を全うし、そのお墓が才海寺に建てられたといいます。才海寺は廃寺となって専光寺に統合されたため、その伝承がこっちに伝わっているようです。乳母は誰の乳母なのか、またなぜ妻を連れていたかなど突っ込み所は満載ですがw

年代は不明ですが、仙石次郎左衛門の居城と伝わります。

仙石氏の名の由来は、山県郡中村千石谷なのだそうです。足利尊氏の時代に「千石次郎」が仕えていたそうで・・・領地から守護所まで遠かったので、出仕のために館を築いたのでしょうか。

仙石氏は北家利仁流の出で、その後は美濃国十七条を本拠としたそうです。この十七条の領主が美濃守護・土岐氏の庶流である舟木氏です。仙石基秀の代に跡継ぎが無かったため、舟木満久の子・久重を養子に迎えたそうです。この時から仙石氏は源姓となりました。この久重の曾孫が有名な仙石久秀です。

・・・とまぁ、ほぼ想像ばかりなので真に受けないで下さいネあせる


所在地:岐阜県羽島郡岐南町八剣3丁目

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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