2022/02/20
天羽城/千葉県富津市
天羽城は、2016年春以来の再訪問となります。訪問日は2022年1月15日です。
2016年のブログでは、2019年の台風以前の様子について書いています。

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天羽城の登城路は、近年複数のルートが整備されました。
その中で私が知っているのは、前回訪ねたこのルートです。
このルートは地元の方が教えて下さったものです。
翌年、小学校からのルートを整備したと連絡を頂いていました。
その年は寒さによる出無精で来ずそれっきりに

今度こそ!と再訪問したのでした。
新ルートを知らないので、城跡から下りて探そうという魂胆でしたが・・・

1 南側の登城口
前回も来た登城口です。
6年経っており、少し錆が目立つようになってきました。
それでもまだこうしてある事に安心しました。

2 門跡っぽい所
登城開始直後は懐かしい風景が続きましたが・・・
湿地帯を過ぎた辺りから、風景の変化に気付き始めました。
道が分岐する所には案内があったのですが、なかなか見つからず。
1つは見つけましたが、以後1つも見つけられませんでした。
遠い記憶を辿って進んだ所に、前回も見た門跡っぽい所がありました。
よし、ルートは合ってる!

3 尾根
しかし、その先の風景が記憶とは完全に変わっていました。
登城路は日当たりが良くない雑木林だった記憶が・・・
左側にはちょっとした平坦地があり、そちらを見ても先に進めず。
以前はあった案内も見当たらず、とりあえず尾根に上がりました。

4 尾根を塞ぐ倒木
登城路でこんなに空は見えなかったハズですが・・・
青々とした空の下、大きな木々がそこかしこで倒れています。
まぁ、城キチにはお馴染みの光景かもしれませんが


5 稜線に
城キチ理論(本能?)に従って尾根を登り、横一線の稜線に。
以前は確かこの辺り、ちょっと入り組んだ感じだった記憶が。
それにしても、山の上なのに見晴らしが良過ぎます。

6 掘られた道
なんか違うと思いつつ、時々見覚えのある光景が現れます。
前回「三重の土橋」と書いていた、土橋の付け根にある掘られた道です。
やっぱりルートは合ってますが、日の光が眩し過ぎます。

7 土橋
笹薮の真ん中の通った土橋も前回通りの姿で残っていました。
しかし、日当たりが良過ぎるとこの辺りの植生が変わりそうです。

8 変わり果てた稜線
なぜこんなにも風景が変わってしまったのか。
それは2019年の台風15号により沢山の木が倒れたからです。
倒れた木の根元を見ると、驚く程土の層が薄いです。
そして、前回は全く見かけなかった巨岩がそこかしこにあります。
どうやらこの山は本来岩山で、その上に木が生えていたようです。
木々が根っこで繋がっていたのが、一気に剥がれ落ちたようです。

9 右に目印が
見慣れない光景だと、前回の記憶が全く活きず。
城跡まで近いのですが、どう行ったものか見当がつきません。
とりあえず、たまにあるピンクの目印を辿りながら進みました。

10 主郭南側
ここも見覚えのない所で、岩盤の尾根を進みます。
その先は急斜面になっていて、虎ロープにつかまりながら登ります。

11 主郭
見晴らしが良いので察しはついていましたが、登った所が主郭でした。
前回登った反対側は、帰りに見に行くことにしました。

12 プレート
前回、ここが主郭だと気付かなかったと書いたからでしょうか。
ここが城山であることを示すプレートが木の根元にありました。
ありがとうございます


13 空撮
前回と違うのは、私が翼を手に入れた事。
ここが開けているのは知っていたので、もちろん飛びました。
手前が天羽城の主郭、奥が北側の山です。
あっちの方が平らな場所が広く、城跡と間違えた山です。
城ではなく、麓住民の避難場所だったかもしれません。
せっかく飛べたので、動画も撮影しました。
とはいえ城の構造物が乏しいので、主郭周りを1周しました。
ですが、切り立った高台だという事がよくわかりました。
城としても、ここで暮らすタイプではなさそうです。

14 主郭北側の堀切
さて、主郭から前回登ったルートを辿ってみました。
前回は道を示す案内がありましたが、今はありません。
記憶を辿り道を下った所が、岩盤ブチ抜きの堀切です。
上にあった木が滑り落ちています。

15 石積み
少し下った所にある石積みは無事でした。
土止めの役割を、あの台風でもしっかり果たしていました。

16 花輪堰ルート
石積みのすぐ下の土塁状の場所は、木がごっそり倒れていました。
この右下が、花輪堰へ下る道があった場所です。
倒木天国を歩き慣れた私でも、これはちょっと無理です。
新しく整備されたルートといっても、それは台風の前の話。
今まで知らなかったルートの開拓は無理だと悟った瞬間でした。

17 虎口っぽい所
上の土塁状に掘った道のある場所です。
前回の登城路はここを下って右へ進み、石積みの脇から上がりました。
現在こちら側に案内が無いのも頷けます。
1日も早い回復を祈るばかりです。
◆歴史◆
不詳
某大聖典では、史料が見つかっていないとあります。
富津市のサイトに『天羽城 中世の山城楽歩』のパンフがあります。
そこでは、「天羽庄司直胤が築城したと伝わる」と書かれています。
天羽直胤は上総広常の弟で、天羽郡の庄司を務めていました。
別のサイトでは「天羽秀常」という名前で登場します。
時代は平安時代末期で、源平合戦で兄・上総広常が存在感を示します。
その兄は誤解から源頼朝に誅殺され、上総一族は全てを失いました。
天羽秀常は武蔵の猪俣氏に匿われ、名も猪俣姓に改めます。
後に上総広常が無実だったと判明しますが、すでに領地は他人の手に。
子の猪俣範常はその後、大友能直に従い豊後へ移りました。
情報を下さった方は「正木兵部大輔時治の城かもしれない」とのこと。
正木時治は、海沿いの金谷城から東の峰上城にかけて支配していました。
地理的には「内房正木氏」の支配圏にあり、可能性はあると思います。
上記のパンフでは、近所に「正木屋敷」が描かれています。
正木屋敷は、見性寺を復興した正木兵部大輔の館跡としています。
見晴らしの良い天羽城は、物見として使われていたかもしれません。
所在地:千葉県富津市相川 GPSログダウンロードページ
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