2014/10/12
牧村城/岐阜県安八町
牧村城は円長寺の場所にあったと考えられています。訪問日は2013年7月27日です。

▲円長寺本堂と山内一豊とのゆかりが彫られた石碑
円長寺は周囲を田んぼに囲まれた住宅地の中にあります。交差点から近いので迷わずに辿り着けます。城としての遺構はありませんが、山内一豊のエピソードが彫られた石碑があります。
◆歴史◆
築城年代は不明で、斎藤龍興の家臣・牧村政倫の居城でした。
牧村政倫は稲葉一鉄の娘を正室としており、行動を共にしていました。
1560年には前年に織田信長に一族を討たれた山内一豊が一時仕えました。
1561年の森部の戦、1562年の軽海の戦では斎藤方の先鋒として織田軍と戦いましたが・・・
1567年に稲葉一鉄とともに織田信長に寝返っています。
その後の経緯がサッパリわかりませんが・・・牧村政倫は伊勢国・岩出城の城主になっていたようです。跡継ぎが無かったため、娘と稲葉重通の子・利貞を養子に迎えました。この牧村利貞は小田原征伐の後、岩出城を継いだようです。
牧村利貞は千利休に師事し、利休七哲にも数えられています。1593年、舟奉行として赴いた文禄・慶長の役で、異国の地で病没しています。牧村家の家督は、嫡男・牛之助が幼いため、利貞の弟・稲葉道通が後見となりました。しかし、牛之助が15歳になると刺客を差し向けて殺害し、牧村家を乗っ取りました。
所在地:岐阜県安八郡安八町牧(円長寺)
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