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牧村城/岐阜県安八町

牧村城は円長寺の場所にあったと考えられています。
訪問日は2013年7月27日です。

牧村城/山内一豊について書かれた石碑
▲円長寺本堂と山内一豊とのゆかりが彫られた石碑

円長寺は周囲を田んぼに囲まれた住宅地の中にあります。交差点から近いので迷わずに辿り着けます。城としての遺構はありませんが、山内一豊のエピソードが彫られた石碑があります。


◆歴史◆

築城年代は不明で、斎藤龍興の家臣・牧村政倫の居城でした。

牧村政倫は稲葉一鉄の娘を正室としており、行動を共にしていました。
1560年には前年に織田信長に一族を討たれた山内一豊が一時仕えました。
1561年の森部の戦、1562年の軽海の戦では斎藤方の先鋒として織田軍と戦いましたが・・・
1567年に稲葉一鉄とともに織田信長に寝返っています。

その後の経緯がサッパリわかりませんが・・・牧村政倫は伊勢国・岩出城の城主になっていたようです。跡継ぎが無かったため、娘と稲葉重通の子・利貞を養子に迎えました。この牧村利貞は小田原征伐の後、岩出城を継いだようです。

牧村利貞は千利休に師事し、利休七哲にも数えられています。1593年、舟奉行として赴いた文禄・慶長の役で、異国の地で病没しています。牧村家の家督は、嫡男・牛之助が幼いため、利貞の弟・稲葉道通が後見となりました。しかし、牛之助が15歳になると刺客を差し向けて殺害し、牧村家を乗っ取りました。


所在地:岐阜県安八郡安八町牧(円長寺)

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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