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天神山城/千葉県富津市

天神山城は、天神社から南の山一帯に築かれた城でした。
訪問日は2022年1月22日です。

【位置・再】天神山城
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城跡へは天神社の裏から登れます。
尾根沿いに段曲輪が延々と連なり、ひと際高い切岸の上が主郭です。
そこから先は細尾根が続き、7、8と堀切が続きます。
その先が二郭で、南西端を大きな堀切で断ち切っています。
細尾根は西へ続き、先端の峰の上が三郭となります。

【1】天神山城
1 天神社

登城口となる天神社です。
川沿いの斜面に連なる住宅街の中にあります。

【2】天神山城
2 登城口

城跡へは、神社の裏から山上に続く道があります。
・・・ありました、が正確な所でしょうか。
2015年に訪ねた時にはヒザの高さしかなかった笹がご立派にクローバー
それでも執念で掻き分け、道の痕跡を見つけて辿ることが出来ました。
コツは、社殿を正面から見て右後ろへ真っすぐ突き進む、です。

【3】天神山城
3 神社の南側

笹を掻き分けて進むと、まもなく笹の背が低くなります。
2015年には「売地」と書かれた板がありましたが、無くなってました。
住宅街の裏に、ひっそりと笹野原が広がっています。
某大聖典では、天神社辺りまで城域だったと書かれています。
この辺りがお城の主要部だったのかもしれません。

【4】天神山城
4 斜面に連なる段曲輪?

開けた笹野原から、山方向へ進みます。
斜面には、至る所に段差があります。
その1つ1つが曲輪だとすると、かなりの規模だったようですが・・・
雰囲気的に畑だった可能性も否定出来ず。

【5】天神山城
5 段曲輪?

ただ、全般的に藪に埋もれています。
藪が刈られると凄い事になりそうです。

【6】天神山城
6 主郭

藪を掻き分けながら、登りやすい所をよじ登ります。
そうして辿り着く広い場所が主郭です。
北側の端は削ってあるのか崩れかけているのか、少しボコボコでした。

【7】天神山城
7 主郭南側の1つ目の堀切

主郭から先は、細尾根が続きます。
ここまで来てようやく千葉らしい城跡になってきます。
細尾根を歩き始めて間もなく、1つ目の堀切があります。
現状は倒木で埋もれてしまっていますが・・・

【8】天神山城
8 2つ目の堀切

すぐにある2つ目の堀切も、別の倒木で埋まっています。
あぁ、私に力があれば取り除きたい(´;ω;`)

【9】天神山城
9 二郭

2つの堀切を越えると、尾根の幅が少し広くなります。
曲輪という感じではありませんでしたが、ここが二郭です。

【10】天神山城
10 二郭端の堀切

上から見て「うわ♡」と声が出る程のザックリがありました。
北側から堀切に沿って下りると、こんな光景が待っていました。
ここが天神山城で一番の見所だと思います。
背丈よりも高い笹薮を掻き分けてまで来て良かったラブラブ

【11】天神山城
11 三郭の切岸

堀切から先は、方向を西に変えて細尾根が続きます。
もう何も無さそうかな?と思い始めた頃に、ピークが現れます。
堀切は無く自然地形のようにも思えましたが、この上が三郭です。
ということは、ちょっと登りにくそうなのは切岸という事のようです。

【12】天神山城
12 三郭

曲輪ということではありますが、削平は甘く斜めです。
ここに来る途中、北側に東京湾がよく見える所がありました。
建物を建てて駐屯するというより、物見台だったかもしれません。


◆歴史◆

真里谷家により築かれたと伝わります

真里谷家が里見家の北上を防ぐ目的で築かれたと考えられています。
同じ目的で築かれたのが、金谷城、造海城から峰上城にかけてのライン。
安房と上総の国境に近い湊川に沿って、城跡がいくつも並んでいます。
もしそうであれば、築かれたのは1530年頃ということになります。

金谷城や造海城が築かれたのは、里見成義の1480年頃とされます。
峰上城が築かれたのは1530年頃。
里見家の内紛が片付き、真里谷家で内紛が始まった年代です。
カリスマ・真里谷信清の没後、真里谷家で家督争いが勃発。
長庶子・真里谷信隆は後北条家、嫡子・真里谷信応は小弓公方。
それぞれ強大な勢力を後ろ盾とし、真里谷家は真っ二つに割れました。

里見家臣・戸崎玄蕃の城になったとされます

上総に侵攻した里見義堯はその直前、真里谷信隆に助けられています。
後北条軍と真里谷信隆の支援を得て里見義豊を倒し、家督争いに勝利。
しかしその直後に手を切り、小弓公方方に寝返りました。
真里谷家の家督争いは真里谷信応が制し、真里谷信隆は相模へ逃亡。
上総南部は里見家の版図に加わりました。
城主は戸崎玄蕃と伝わります。

戸崎玄蕃の詳細はわかりませんでしたが・・・
・久留里城の北にあった戸崎城の城主
・伯耆で帰農した、らしい
がググって出て来ました。
里見家は豊臣秀吉の小田原征伐後、安房1国に減封。
江戸時代には大久保長安事件に連座し、改易されました。
改易された里見忠義は、伯耆国3万国へ国替えとなります。

戸崎玄蕃でググると、鳥取の北野神社の縁起に登場しました。
そこには尼子輝房の家老と書かれていましたが・・・
神社を建てたのが1662年なので、里見家が伯耆に移った後です。
北野神社の祭神も、天神社と同じ菅原道真。
戸崎城跡にも天神社があるそうです。
某大聖典には天神社は千葉一族が建てたかも?と書いていますが・・・
戸崎玄蕃の城主説、かなり濃厚ですね!


所在地:千葉県富津市海良 GPSログダウンロードページ

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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