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本郷城/岐阜県池田町

本郷城跡には大きな土盛りが残っています。
訪問日は2013年7月28日です。

本郷城/②この先?
▲この先?

本郷城跡へは国道417号の「本郷北」交差点を西に曲がり、最初の道を左折します。すると、「本郷城跡→」の小さな案内があり、その先を見たのが上の写真です。田んぼしか見えません。

本郷城/③南から見た所
▲南から見た所

道があるので進み、突き当たりで右を見たのが上の写真です。一発でここに辿り着くのは難しいと思います。

本郷城/④櫓台
▲櫓台の入口

てくてく歩いてフェンスの所まで行くと、あれやこれやと賑やか。ここにいっぱい物置くなら、ここに来るまでの案内を充実させた方が・・・心の中のつぶやきですwww

本郷城/⑤縄張図
▲縄張図

その中の1枚の説明板にあった縄張図です。輪郭式で内堀と外堀があったんですね!今は内堀の北西角にあった櫓台だけが残っています。

本郷城/⑥櫓台のてっぺん
▲櫓台のてっぺん

その櫓台のてっぺんも色々あります。ほんと、狭いスペースにこれでもか!という位にwここにこれだけ置くなら1つくらい案内に回せば・・・独り言ですw

本郷城/⑦城址碑
▲城址碑

さてさて、私的に主役は立派な城址碑なのですが見当たらず。確かココにあるはずなのに・・・と探し物モード。でも、ちゃんとありました。木陰にwww


◆歴史◆

南北朝時代の1390年までに土岐頼忠により築かれたとされます。

土岐頼忠は美濃守護・土岐氏の5代めです。土岐頼忠は池田郡を本拠としていたため、土岐西池田家と呼ばれていました。土岐氏の勢力拡大を危惧した足利義満の挑発で1390年に討伐された土岐康行の伯父です。美濃守護となってからの土岐氏の歴史は波乱に満ちていますが・・・長くなる気配が濃厚なので、この辺でw

土岐頼忠の子・頼益の代に国枝氏の居城となります。

1395年に土岐頼忠から家督と美濃守護を譲られました。土岐頼益は居城を土岐氏宗家が本拠とした革手城に移しました。その後を受けて、国枝為助が本郷城の城主となりました。国枝氏は西美濃三人衆筆頭の稲葉氏と密接な姻戚関係があります。以後、国枝氏は6代目の国枝政森まで続きます。

1600年、廃城となりました。

国枝政森は岐阜城主・織田秀信に従っており、関ヶ原の戦いでは西軍に属しました。そのため城は東軍に焼き払われたと伝わります。国枝政森は没落し、1602年5月に失意のうちに没したそうです。


所在地:岐阜県揖斐郡池田町本郷北瀬古

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なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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