2014/09/27
府中城/岐阜県垂井町
府中城は安立寺辺りにあったと考えられています。訪問日は2013年7月28日です。

▲道は安立寺の裏側を通っています
府中城は不破氏の居城とされていますが、その位置等わかっていません。美濃国府が安立寺の辺りと推定されていたため、府中城もこの辺だったとされています。国府は正殿跡が2002年に発見されて位置が特定されましたが、府中城は謎のままです。

▲美濃国府庁趾の碑
それでも立派な石碑は安立寺の脇に今でもあります。府中城址なんて彫ってあったらいいな、なんて思っていましたが・・・「美濃国府庁趾」と彫られています。遺構は期待してなかったので、府中城ってどっかに書いてないかと探してみました。

▲安立寺の山門
道はお寺の裏側なので、裏に回ってお寺の正面に出ました。回りくどいですねw朝早くからお寺の周りで不審者ごっこをしてみたものの、何も見つからず・・・お寺の立派な山門が城門に見えたと勝手に満足して、次の城跡へ飛んで行きました。
◆歴史(ほぼ不明)◆
殆ど何もわからず。お城がどこにあったのかすらはっきりしないそうで・・・とりあえず、それっぽい事が書いてあるとだけ思って下さい。
鎌倉時代末頃、不破直家により築かれたと考えられます。
不破氏は出自がわからないのですが、不破氏の祖は松井直家だとされています。松井直家は山城国に居ましたが、鎌倉時代末頃に府中に移り不破氏を名乗ったそうです。
戦国期に不破道広が西保城へ移りました。
不破道広は不破光治の祖父にあたる人物です。なので、西保城へ移ったのは1500年代のことと思われます。
・・・とまぁ、分かっているのはこれぐらいです。美濃国府は遺構が見つかって位置が判明してるんですけどねぇw
※安立寺の約100m南の御旅神社付近で正殿跡が発掘されています。
所在地:岐阜県不破郡垂井町府中
岐阜県の城跡/なぽのホームページを表示 |
コメント