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増島城/岐阜県飛騨市

増島城跡は古川小学校のグラウンド脇にあります。
訪問日は2012年8月8日の早朝です。

増島城/①
▲北東から

増島城跡は古川の街の中にあります。飛騨では珍しい平城です。地図で見ていても堀の跡がくっきり分かり、道に迷う事はありませんでした。

増島城/②
▲南東から

城跡に着くと、立派な水堀と石垣がドーンとお出迎え。ここだ!と圧倒的な存在感で迎えてくれたのでした^^

増島城/③
▲南西から

道から見て左脇から奥に入れるようになっていて、そのまま進むとグラウンドに出ました。城跡の両脇には学校があって、まっ平らなグラウンドに囲まれています。夏休みの夜が明けてすぐの時間帯だからこそ、こんな場所でもカメラ振り回せましたw

増島城/④
▲北西から

でも、増島天満神社の赤い幟の並び方を見ると、どう見ても参道ですよね?学校の敷地にしか見えないのですが、柵などの類は無くすんなり入れました。史跡としてなのか、神社としてなのか、とにかく出入り自由はありがたい事です^^


◆歴史◆

1585年、金森長近により築かれました。

豊臣秀吉の命令により、越前大野城主・金森長近が大将として飛騨へ侵攻。そのまま金森長近に飛騨一国が与えられました。金森長近は高山城の他、増島城と萩原諏訪城を築いて飛騨統治の拠点としました。

城主となったのは金森長近の養子・金森可重でした。金森長近の実の子は本能寺の変で織田信長とともに亡くなっていたのでした。金森可重は長屋景重の子で、斎藤道三の家臣でした。織田信長が美濃を制圧した時に降伏し、人質に出した子を引き受けたのが金森長近でした。

1615年、廃城となりました。

江戸幕府が発令した一国一城令によります。萩原諏訪城と同様に破却せず、古川旅館と名を改めて金森氏の別邸となりました。

1692年、金森氏が出羽上山へ移されました。

飛騨高山藩6代藩主・金森頼時が出羽国上山へ移されました。これは幕府が飛騨の森林資源に目をつけたからだと考えられています。上山藩は石高は同じでしたが、実質的には減封でした。将軍・徳川綱吉とそりが合わなかった、柳沢吉保により失脚させられたなどの説もあります。

1695年、破却されました。

萩原諏訪城とともに幕府により破却されました。その際に城門が近在の寺院に移築され、円光寺と林昌寺の山門として現存しています。


所在地:岐阜県飛騨市古川町片原町

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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