2014/08/30
山本城/富山県南砺市
山本城跡は田んぼの中にほんの一部分だけが残されています。訪問日は2012年8月6日です。

▲郭の一部分が田んぼの中に残されています
田んぼの中にポツンと残された郭の一部に石碑が建っています。訪問した時にはそのイメージ通りだったので、この1枚しか撮りませんでしたが・・・反対側にも道があって、説明板まであるそうです_| ̄|○
◆歴史◆
平安時代末頃、石黒氏により築かれました。
石黒氏は越中の名門で、石黒荘(礪波郡一帯)を支配していました。源平の戦いでは木曽義仲に味方し、倶利伽羅峠の戦いで大活躍しました。石黒太郎光秀の次男・石黒宗五郎の系統が山本村を治めていたそうです。
1481年、石黒氏が滅びました。
この年、一向一揆と石黒氏が山田川で戦い、石黒氏が滅ぼされました。以後、礪波地方は一向一揆が治めることとなります。尚、石黒氏は木舟城などに庶流が存続し、加賀前田家に仕えた子孫も多数居ます。
1580年頃、佐々成政の持ち城となります。
1570年代後半、織田信長は一向宗が支配していた加賀を制圧しました。一方、越中に影響力のあった上杉謙信が1578年に没し、上杉家中で家督争いが始まりました。そのため、織田信長が越中へ本格的に侵攻するようになりました。その先鋒を務めたのが佐々成政で、1582年には魚津城を陥落させ、越中を制圧しました。
1585年頃、廃城になったと考えられています。
その佐々成政も、織田信長が没した後は羽柴秀吉と争うようになりました。そして1585年、姓を豊臣と改めた秀吉に討伐され、越中の大半を没収されました。その領地は前田利家に与えられたため、軍事拠点としての役割を終えたものと思われます。
昭和40年代の圃場整備で、城跡の大半が消滅しました。
圃場整備までは郭が残っていたそうですが・・・圃場整備の時に、郭の東西が削り落とされたそうです。
所在地:富山県南砺市山本
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