2014/07/26
安田城/富山市
安田城は国の史跡に指定され、復元された城跡です。訪問日は2012年8月7日です。

▲駐車場から見た所
安田城は綺麗に復元され、水堀に囲まれた姿を見ることが出来ます。富山の城跡巡りでは、心の中では一番見たかった所・・・かも。今となっては他に見に行きたい所がいくつか出て来ましたけど。時が経つにつれて、ヒトはどんどん貪欲になるものですねw

▲堀が複雑に巡る?
復元されるまでは普通に畑だったのでしょうか。昭和40年代に圃場整備が計画され、発掘の結果良い状態で残ってる事がわかったらしいです。地図を見てるとすぐ近くを北陸自動車道が通っていますが・・・一歩間違えればアスファルトの下敷きになるところでしたね。

▲堀の内側から見た所
発掘調査の結果と江戸時代に残された古図がバッチリ一致。ここまで綺麗に見つかるのは珍しい!ということで、国の史跡に指定されました。その後、1990年から4年の歳月を掛けてじっくり復元されました。城の復元では白亜の建物建てたがる所が多いですが、そういうのが無いのもイイですね


▲土塁に囲まれた本丸
ただ、元々の状態を知らないので何とも言えませんが・・・やっぱり木の柵とか木造の東屋とかが無いと寂しい気はします。絵図の解析とかでバッチリこうだ!というのが分かれば、是非復元して欲しいですね。

▲説明板
水堀に囲まれた縄張りも素晴らしいですが・・・モニュメント好きのため?の城址碑もバッチリ有ります!敢えて載せませんが、あちこち載ってるかもw
城跡の雰囲気は、埼玉の難波田城と似てるなぁ~なんて思いました。
◆歴史◆
1585年、佐々成政討伐の際に築かれました。
本能寺の変後、羽柴秀吉(のち豊臣秀吉)と徳川家康は小牧・長久手の戦で鎬を削りました。この時、越中の佐々成政は徳川家康に味方し、加賀の前田利家を攻めました。羽柴秀吉は徳川家康との間で渋々和議を結ぶこととなりましたが・・・佐々成政とはちゃんと決着をつけました。
富山城攻めの拠点として、豊臣秀吉は白鳥城に本陣を構えました。そのすぐ南東の地に前田利家によって安田城が築かれました。最初は陣城だったんですね!
この戦により佐々成政はかなりの領地を召し上げられましたが・・・越中の東半分は残され、西半分が前田利家に与えられました。佐々成政本人は大坂で暮らすことを強要されたので、領国は家臣達が切り盛りしました。これは大名当人が人質になったようなものですね。しかし、前田利家は佐々軍に備えて安田城を維持管理し続けました。
1587年、一度廃城になったものと思われます。
この年、九州征伐で抜群の功を挙げた佐々成政が、肥後一国を与えられ移りました。この時に空いた越中の東半分が前田利家に与えられたため、安田城は不要となりました。
1597年、再び整備されました。
前田利長が増山城から富山城へと居城を移しました。これに伴って家臣も富山城近辺に移りました。安田城には対佐々軍の時と同じ岡嶋一吉が入りました。
1599年、城主・岡嶋一吉が金沢に移りました。
これは前田利家が没して富山の前田利長が家督を継ぎ、金沢に移ったためです。安田城には代官として平野三郎左衛門が派遣されたそうですが・・・まもなく廃城となりました。
1994年、復元されました。
水堀、郭、土塁などが往時の姿に復元されましたヽ(´∀`)ノ
所在地:富山市婦中町安田
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