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舟見城/富山県入善町

舟見城跡は舟見山自然公園となっています。
訪問日は2012年8月7日です。

舟見城①/模擬天守
▲城郭風建物

ココも公園になっていて、城跡まで道が通っています。そのどんつきに駐車場があり、真正面に写真の建物があります。城らしくないを通り越して、可愛らしい建物ですw

舟見城③/説明板
▲ざっくりとした説明板

この建物の真正面に小さな白い板が1枚。ざっくりですが、歴史が記されています。・・・といっても殆ど何も分かっていないのですねあせる

舟見城②/主郭
▲建物側から見た主郭

城跡は広い平地に見えますが・・・公園として整備した時に堀やら土塁やらを破壊したようです。ほんのちょっと前の時代に全国各地であった悲劇ですねT_Tこの「広場」も堀切で分断されていたのを埋めちゃいました。それでも1つだけ、可愛い建物の左側(西)に堀切が残っているそうです。


◆歴史◆

鎌倉時代はじめ頃に築かれたと思われます。

宮崎太郎の嫡男・入善小太郎により築かれたとされています。宮崎太郎は平安末から鎌倉時代はじめ頃の人物です。1182年に北陸宮を迎え、木曽義仲のもとで活躍しました。入善小太郎はその嫡男なので・・・鎌倉時代ですね。

木曽義仲が討たれた後、宮崎太郎は巴御前とともに信濃国木曽へ逃れました。しかし、新川郡一帯は1221年の承久の乱までは宮崎氏が支配していました。そのため、舟見城もこの頃までに築かれていたと思われます。

その後の歴史がサッパリなのです・・・

上杉謙信が越中に侵攻し、舟見城が落城しました。

あちこちに「上杉謙信に攻められ落城」と書かれています。その年ですが、弘治年間(1555~58)だったり、永禄年間(1558~70)だったりします。

弘治年間(1555~58)だと、上杉謙信はまだ「長尾景虎」を名乗っていました。時期的にも越中に攻め入る理由も無いような気もします。椎名康胤の援軍として神保長職を攻めたのが1561年以降なので。地理的にも椎名氏の領内なので、舟見城は攻めないでしょう。

どちらかというと永禄年間(1558~70)の方が可能性が高いような気がします。この期間なら1568年に椎名康胤が武田信玄に寝返り、上杉軍が椎名氏を攻めているからです。上杉軍は魚津城を攻め落として河田長親が城主となり、その後は松倉城を攻め続けています。

落城時の城主は「飛騨守五郎左近尉」という人物です。ググってみると、十三寺の仏像を守本尊としていたそうです。この仏像は平安時代末期の作なので、鎌倉時代以降の人ですね。・・・てなレベルしかわかりませんあせる

飛騨守五郎左近尉が落城後に身を投げたという「飛騨ヶ淵」ですが・・・場所がどこなのかわかりませんでした。


所在地:富山県下新川郡入善町舟見

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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