fc2ブログ

長野城/福岡県北九州市

長野城は、竪堀の本数日本一という説もある山城です。
訪問日は2022年1月1日です。

【位置・再】長野城

長野城は、訪ねるのが難しいと言われている城跡です。
何が難しいかというと、登城口がわかりづらいのかもしれません。
「かもしれません」というのは、私がそう感じなかったからですが・・・
道無き山城ばかり訪ねていると、「ココ」というのを感じます。
そこにピンクテープがあったりすると、確信出来てしまいます。
とはいえ、誰が見ても間違いなくわかるのが17の本丸登城口です。
ここは目立つ案内と、それとわかる道があります。
6、7、36の登城口からは、道無き斜面の直登となります。
道らしい道は無いので、慣れていない方にはお勧め出来ません。
誰でも歩きやすいのは、17の登城口から二の丸にかけてです。
17→15→27→35だけでも、長野城の特徴を十分堪能出来ます。

【1】長野城
1 長野緑地・中央駐車場

最寄りの駐車場は、長野緑地の中央駐車場です。
ただし、開いているのは朝8時から夜20時までです。
いつも通り夜明けから朝駆けすると、お預けを食らいます。
たまたま松山城に寄り道したので、開いていましたあせる
ここから南へ真っすぐ進み、林道を登れば城跡に辿り着きます。

【2】長野城
2 説明板 説明板を表示縄張図を表示

諸兄は西駐車場にしかないと紹介されていますが・・・
中央駐車場にも、縄張図付きの説明板がありましたヾ(*´∀`*)ノ

【3】長野城
3 案内はありますが・・・

さて、上でわざわざ「林道を登れば」と書きました。
それは、ご丁寧にこの案内があるからです。
諸兄が紹介していない案内がある!と、そっちへ進みましたが・・・
案内があるのは次の角まで。
山に入り道が分岐する所には、何も案内がありませんでした。
いぶかしく思いGPSで位置を確認すると、城跡からは遠ざかる一方。
GPSで軌跡を録っているので、泣く泣くスタート地点まで戻ったのでした。

【4】長野城
4 林道へ

・・・ということで、車両通行止の林道を徒歩で進みます。
林道のゲートは、民家の目の前にあります。
駐車出来る場所が無いので、駐車場が開いてる時間に攻めましょう。

【5】長野城
5 林道

林道の入口にはチェーンが1か所、ゲートは2箇所あります。
それだけ厳重に車の進入を拒むのは、林道が荒れているからです。
ここは崩れており、人一人がやっと通れる幅しかありません。
この他にも大きなヒビ割れがあったり、土砂で埋まったり。
おそらく修復する日は未来永劫来なさそうな程荒れています。

【6】長野城
6 出丸南西側の登城口

とはいえ、楽しみにしていた長野城。
林道を歩いている間は、ずっとワクワクでした。
そんなワクワクがピークに達したのが、登城口を見つけた時です。
出丸北西側の登城口ですが、ここからは登りませんでした。
ショッキングピンクのテープと虎ロープがあります。
・・・見えますか?

【空撮】長野城
空から

ここの道は上空が開け、風も無し。
前日、前々日は風が強く飛べなかったので、禁断症状も出ていました。
ということで、翼解放!
完全に逆光になってしまいましたが、長野城の全体像をゲットしました。
特徴的な馬蹄形がバッチリ撮れていますラブラブ

【7】長野城
7 出丸北東側の登城口

事前に「ここから登ろう」と決めていたのは、出丸北東側です。
机上のシュミレーションなので、北西側との差は無さそうですがあせる
尾根の分岐は無いので、城キチの本能のままに高い方へ進みます。

【8】長野城
①出丸-8 段曲輪

しばらくすると、明らかに平らに馴らされた所に出ます。
しかも、奥はカックンと段差にラブラブ
憧れだった長野城の城域に、いよいよ足を踏み入れたと実感します。

【9】長野城
①出丸-9 出丸

段曲輪が数段続き、次、次、と進みます。
特別に広い訳でも構造体がある訳でもありませんが・・・
奥に「出丸」と書かれたプレートが貼られたココが出丸です。
お城自体はとても規模が大きいので、ちょっと意外に感じました。

【10】長野城
①出丸-10 出丸裏の堀切

出丸の奥はちょっと草深く、ルートがわかりづらくなります。
エイクローバー、ヤっクローバーと進むと、すぐ裏に堀切がありましたラブラブ

【11】長野城
11 出丸側の道

出丸から先は、尾根伝いに登ります。
草がやや深く道も不明瞭なので、ホームに帰って来た感じでしたラブラブ
いよいよ人外への道へ踏み込んでしまったのでしょうか・・・

【12】長野城
12 畝状竪堀

事前に見た図などでは、右側に畝状竪堀群があるハズでしたが・・・
草深いせいもあって、やや不明瞭でした。
しかし、今まで見た中ではわかりやすいサイズではありました。

【13】長野城
②本丸-13 本丸

いつも通りな感じの山道を登り、やや平らな感じの所に出ました。
直感は、ココは曲輪だよと教えてくれます。
まぁ、平らですからねw

【14】長野城
②本丸-14 本丸

左奥にこんもりした土盛りがあり、上に「本丸」が刺さってました。
こんもりはどうやら櫓台のようです。

【15】長野城
②本丸-15 畝状竪堀

本丸の西側斜面には、誰がどう見てもわかるウネウネがあります。
あまりにも数が多いので、流石は日本一!と心の中で叫びました。
誰も居ないので、大きな声でも良かったのですが(`・ω・´)

【16】長野城
16 本丸南側の登城路

しばらく畝状竪堀群を堪能し、次は南西の馬場を目指しました。
馬場への道がどこかにあるハズですが・・・
目に入るのは、そこかしこに連なるウネウネの竪堀ばかり。
どこ下りても同じだ!とヤケクソになった時に見えちゃいました。
天使の階段ならぬ、ピンクのテープと虎ロープです。

【17】長野城
17 本丸南側の登城口

山城目印セットを辿って下ると、目の前を横切る林道が見えました。
そのまま林道に出ると、本丸→の立派な案内があります。
下って来た所を見ると、ちゃんとした道に見えました。
上からは竪堀の1本にしか見えませんでしたがあせる

【18】長野城
18 馬場への道

本当は林道まで下りるつもりはなく、馬場に行くつもりでした。
さてここからどう行こう?と思案していると、そっち方向にも道が。
痕跡程度の古道ですが、一度見えるとビシッと見えます。

【19】長野城
③馬場-19 二重堀切

尾根に上がったなぁと感じたその時、正面からただならぬ気配が。
ビリビリ感じたその気配の主は、二重の堀切様でしたラブラブ
写真では草深くてわかりませんが、結構大きいです。

【20】長野城
③馬場-20 二重堀切

1枚に収まらなかった、もう1本です。

【21】長野城
③馬場-21 馬場

ここから、西へ向かって平らな道が続きます。
馬場は多分、右上なんだと思いますが・・・
馬走らせるならこっちですよね?

【22】長野城
③馬場-22 馬場の堀切

馬場は、途中にも浅い堀切が1条あります。

【23】長野城
③馬場-23 馬場先端

馬場を歩くんだ!と妙な矜持に囚われ、なぜかちょい藪歩きましたクローバー

【24】長野城
24 馬場から本丸へ

まだ二の丸行ってねぇ!
さて、また下りて登り直そうか悩んでいると、道は勝手に開けます。
上に向かって虎ロープ付きの道が、デーンと現れました。
本丸から来る時には見えなかったのですが・・・
本丸の登城口を見つけるよう、何かの神様が仕組んだ罠かもです。

【25】長野城
②本丸-25 本丸

何となくな確信もあり、本丸に帰還!
下りて登り直す手間が省けました(*´∀`)

【26】長野城
②本丸-26 本丸南西側

出丸から来た時も通ったはずなこの道。
南西側の腰曲輪になぜか目を引かれました。
曲輪なら外周をトレースしたいなんて一瞬思いましたが・・・
これ見た感じだと、畝状竪堀ですね!
行かなくて良かった!

【27】長野城
②本丸-27 二の丸へ

いよいよ二の丸へラストスパート。
本丸のこんもり右脇に、二の丸の案内があります。
こちら側は、出丸側と違ってくっきりした道があります。
こっち歩く人の方が多いんですネ

【28】長野城
28 畝状竪堀

それが何故なのか、割とすぐにわかります。
細尾根状の道の右脇には、延々と畝状竪堀群が続きます。
あまりにずっと続き、壮観のひと言では片付きません。

【29】長野城
29 土橋

満腹気分で歩いていると、正面にウネウネグニャグニャが現れます。
竪堀の変形なのか、土塁なのか、堀切なのか???でしたが・・・
敢えて名前を付けると、三重堀切をまたぐ土橋?のようです。
それにしても、魚の背骨みたいな形をしています。
こんな土橋は初めて見ました。

【30】長野城
30 二の丸脇の堀切

そんな三重堀切の先に、さらに堀切があります。
この堀切の先の急斜面が、二の丸の切岸です。
よっぽどココ登られたくなかったんですね!

【31】長野城
④二の丸-31 二の丸の切岸

二の丸に上がる道が無いので、虎ロープに頼りながら直登です。
往時は梯子でも架かっていたのでしょうか。

【32】長野城
④二の丸-32 二の丸

切岸を上がった所が二の丸です。
向こう側が何となく低く見えるのは、ここが土塁の上だからです。

【33】長野城
④二の丸-33 二の丸

上の写真の奥から見た二の丸です。
あの虎ロープは、よりにもよって一番高低差のある所にあります。
いつも思うのですが、城キチって真っすぐにしか進めないっぽいです。

【34】長野城
④二の丸-34 二の丸西側の段曲輪

二の丸の上から見渡し、西側が他と違って見えました。
1本の細い尾根に沿って、曲輪が段々に連なって見えたからです。
途中まで下りて見ようということで、段になっている様子を撮りました。
後から知りましたが、このまま下りた所も登城口だったようです。
林道歩いていても気付きませんでしたがあせる
確かに、斜面直登よりは登りやすいかもしれません。

【35】長野城
④二の丸-35 畝状竪堀

二の丸も、東から北にかけて大きな竪堀群に囲まれています。
こいつらのどれかを伝って林道に下りるのですが・・・
どこから下りても同じに感じられ迷いました。
しかし、木の枝に巻かれた小さな赤テープを発見。
その竪堀をまっすぐ下り、林道に生還しました。

【36】長野城
36 二の丸北東側の登城口

下りて来た林道です。
目の前にはかなり目立つようピンクリボンが付けられています。
ただ、斜面を見ても道など無く、慣れてない人には???かもしれません。


◆歴史◆

1157年、平康盛が築いたと伝わります。

平康盛は左大臣・平時盛の六男で、平清盛の甥に当たります。
とはいうものの、平清盛の兄弟に平時盛の名は見当たらず。
『豊前志』によれば、平康盛は豊前守護として下向し城を築きました。
そして、地名から長野姓を名乗ったと記されています。
源平合戦では、長野康盛の子・長野長盛が平家方として戦います。
戦後、平清盛に近い一族ということでなかなか許されず。
豊前守護の職は解かれましたが・・・
源範頼のとりなしにより、企救郡の地頭職となりました。
というのが、一般的な長野氏の出自とされます。
他に、清原氏系、中原氏系、桓武平氏系の長野氏が当地にいました。
今となっては誰がどの系統だったのか、解析不能らしいですあせる

その後、大三嶽城、小三嶽城、稗畑城など、長野一族が一帯を支配。
とはいっても、別々の系統の長野氏が一族に見えた結果かもしれません。
区別出来ないので、1つの氏族のようにまとめてしまいますあせる

長野氏は南北朝時代、少弐家に従っていたようです。
少弐家は筑前国の守護でしたが、地理的に重なる九州探題と利害が対立。
そのため、九州では九州探題、少弐家、南朝方の三つ巴となります。
今川了俊が九州探題の時、少弐貞頼は和睦しましたが・・・
渋川満頼が九州探題となると再び反抗し、幕府が討伐を命じます。
そこで攻めて来たのが大内義弘です。
長野氏は大友氏鑑に従い、大内軍の松山城を攻めました。
しかし戦に敗れ、以後は大内家に従うようになります。

1551年に大内義隆が暗殺され、1556年に厳島合戦で大内家が滅びました。
空白地帯となった旧大内領は、激しい争奪戦の的となります。
長野筑後守は当初、毛利家に従い大友軍と戦いました。
1565年、大友義鎮は「長野御成敗」と呼ばれる討伐を行います。
降伏した長野祐盛は人質を出し、後に田原家を継ぐ田原親貫となります。
すると1569年、今度は毛利軍が長野家に襲い掛かります。
この時の戦は「長野退治」と呼ばれ、長野家の城が集中攻撃されました。
これにより、領主としての長野家は没落し、しばらく歴史から消えます。

1578年、耳川の戦で大友家が衰退すると、馬ヶ岳城に長野氏が復活します。
この頃に長野城も復興されたと考えられています。
しかし翌年、小倉城の高橋鑑種が攻め落とし、長野助盛を城主とします。
高橋鑑種は元大友家臣で、毛利家に寝返り家督を失っていました。
反大友家の秋月種実とは、養子を二人迎えている程近い仲です。
長野助盛は秋月種実の弟で、兄と行動を共にすることが多かったです。

しかし1587年、九州征伐で兄弟は別々の道を歩むこととなります。
秋月種実は島津家に従っており、豊臣軍の討伐対象となりました。
弟の長野助盛は、馬ヶ岳城を豊臣軍に差し出すなど協力的でした。
戦後、長野助盛は筑後へ国替えとなり、長野城は破却されました。


所在地:福岡県北九州市小倉南区大字長野 GPSログダウンロードページ

福岡県の城跡/なぽのホームページを表示

コメント

非公開コメント

プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

ホームページ紹介

なぽの城跡巡り・トップページ
これまで私が訪ねた城跡を紹介しています。ブログで紹介したお城もすべてココから見に行けるようになっています。是非遊びに来て下さい!

北海道・東北地方
関東地方
中部地方
近畿地方
中国地方
四国地方
九州地方・沖縄

プライバシーポリシー
本サイトについて
お問い合わせフォーム



検索フォーム

QRコード

QR