2014/02/20
小黒丸城/福井市
小黒丸城は田んぼの中にある住宅地の一角にありました。訪問日は2012年8月6日です。
▲ちょっと離れた所から
地図を見ながら「確かこの辺だったような・・・」と走っていました。参考に見たサイトは城址碑のアップばかりだったので、どんな所かと思いましたが。見た感じは普通の1軒分の空き地がブロックで囲まれています。


▲城址碑と説明板
ブロックで囲まれた中に、立派な城址碑と説明板があります。写真に個性がありませんねwww皆さんとおんなじアングルで撮っています。説明板によると、この城址碑もかつては50m北にあったそうです。それが圃場整備により現在地に移されました。かつては室町幕府を牛耳っていた斯波高経の本拠なんですけどね・・・遺構は何もありません。
◆歴史◆
小黒丸城は建武の新政で越前守護となった足利高経により築かれました。
足利高経は斯波高経と呼んだ方が分かりやすいかもしれません。この頃はまだ足利姓を名乗っており、斯波姓を名乗るのは子の代からだそうです。足利高経は足利尊氏とともに鎌倉幕府打倒に活躍し、1333年に越前守護となりました。小黒丸城はこの頃に築かれたと考えられています。
1338年、朝倉広景が城主となりました。
金ケ崎城を脱出した新田義貞は、杣山城を拠点として足利高経に対抗しました。この時に戦いで偵察に出た新田義貞は、小黒丸城の城兵とばったり遭遇し討たれました。この戦いの褒美として、朝倉広景は小黒丸城主となりました。以後、応仁の乱頃に一乗谷に本拠を移すまでの間、小黒丸城を本拠としました。
1471年、越前朝倉氏7代・朝倉孝景が越前守護となりました。
朝倉孝景は応仁の乱を通じて斯波氏や甲斐氏を退け、越前守護となりました。
以後、朝倉氏が代々越前の守護となりました。朝倉氏は、この頃に一乗谷に本拠を移したとされています。ただ異説もあり、南北朝時代から朝倉氏は一乗谷を本拠としていたとする説もあります。
所在地:福井市黒丸町
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