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奥津城/千葉県勝浦市

奥津城は別名・興津城とも呼ばれる勝浦城の支城です。

訪問日は2022年1月29日です。



【位置・再】奥津城

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北東から南西に伸びる尾根上に曲輪を連ねています。

蘇生山瑞法殿から未舗装の細道が主郭まで通じています。

1の所に説明板があり、本格的に城域に入ります。

三郭と二郭、二郭と主郭の間は堀切で隔てられています。

三郭手前と主郭裏にも堀切があり、見所満載ですラブラブ



【1】奥津城

1 説明板 図を表示説明文を表示



お寺の脇の道を進み、切り通しっぽい所を過ぎるとそこは城跡

2016年には無かった説明板が、入口にありましたラブラブ

真新しい説明板に描かれているのは、見慣れた大御所様のものです。



【2】奥津城

2 第三郭



これも2016年には無かった、、、ような気がしますあせる

今いるここがどこなのか、わかりやすくていいですね合格



【3】奥津城

3 三郭手前の堀切



それでも天邪鬼な私は、誰もが真っ先に進む方向には行きません。

まずは真逆の右斜め手前へ。

その高く盛り上がった土の裏側に、こんな堀切があります。



【4】奥津城

4 三郭北側の細尾根



堀切の先は、左側が垂直な斜面の細尾根が続きます。



【5】奥津城

5 四郭?



その先に、ちょっとした平坦地があります。

かなり綺麗にまっ平らです。

地形的には、一二三と連なる曲輪のその先にあります。

もしかしたら四郭でしょうか?



【6】奥津城

6 北側の麓



上の平坦地から、斜面の端の道のような所から下りられます。

下りた所は、かなり広い平坦地が広がっています。

東側は堀や土塁など無く、来た道にそのまま出られます。

家臣団が暮らした根古屋だったのかもしれません。



【7】奥津城

7 3の裏にも堀切



天邪鬼の気が少し晴れたので、素直に城跡へと向かいます。

その「帰り」道、上で見た堀切を堪能していたら裏にもラブラブ



【8】奥津城

8 三郭の土塁



さて、東西に長い三郭は、中央に段差がある二段構造です。

西側の高い方の北端には、3メートル程の土塁が連なります。



【9】奥津城

9 三郭と二郭の間



三郭の脇の道は、わざわざ掘られています。

向い側は二郭なので、意図的に掘られた堀切のようです。

奥へ進むには、三郭から見下ろされた状態を強いられます。



【10】奥津城

10 二郭虎口



こんもり小山を回り込むと、段差を掘り込んだ虎口があります。

緑色のネットで囲まれていますが、貼り紙には獣避けと書かれています。

人の手であれば、簡単に出入り出来ます。



【11】奥津城

11 第二郭



虎口脇には力作が^^



【12】奥津城

12 二郭内部



二郭は櫓台にしては大きな小山?に沿ってあります。

斜面には地層が剥き出しで、いかにも削った感がプンプンします。

もしかして、山の半分を削って平らにしたのでしょうか?

ここいらの城だと、それ位は平気でやってのけそうです。



【13】奥津城

13 二郭と主郭の間の堀切



二郭の脇にも、三郭と同じように削り込んだ道があります。

地形的には、元々はこっちが道だったようです。

左右逆にすれば、三郭と二郭の間もこんなでした。



【14】奥津城

14 主郭東側



そのまま奥へ進むと、帯曲輪状になっています。

ここを進んで行くと、主郭の奥側に出ました。



【15】奥津城

15 主郭北側の入口



堀切まで戻り、再び小山の斜面を削った道を進みます。

カーブを過ぎると、先がとても広くなってきました。



【16】奥津城

16 主郭



ということで、主郭です。



【17】奥津城

17 主郭土塁に上がる入口



奥津城というと、主郭東側のこんもりに上がるこの石段です。

ここに、城址碑代わりのプレートがありますラブラブ



【18】奥津城

18 主郭土塁上



超巨大櫓台風のこんもりに上がると、その上は平らでした。

もしかしたら、二郭のこんもりの上もこんなかもしれません。

あちらは登れそうにありませんでしたが・・・

一番奥まで進むと、小さな祠と第一郭の標示がありました。



【19】奥津城

19 主郭裏に抜ける道



さて、天邪鬼の私には、まだまだ見に行く所があります。

主郭の裏には大きな堀切様がお隠れになっているらすぃ~♪

どこかから裏に行けないかと探したら、怪しげな所を見つけました。



【20】奥津城

20 堀切



斜面についた踏み跡を辿ると、細長い帯曲輪状の所に出ます。

そのまま10メートル近い切岸に沿って進んだらありましたラブラブ



【21】奥津城

21 堀切(20の奥から)



上の堀切と形が似てると思ったら、反対側から撮ったものでしたあせる

右から見た横顔と、左側から見た横顔が別人だなんてラブラブ



【22】奥津城

22 堀切



更に奥へ進むと、またしても堀切様です。

ここを奥へ進むと、明らかに人の手が加わった岩の造形があります。



【23】奥津城

23 奥へ続く尾根道



連続堀切の奥には、どこかに続いてそうな尾根が続きます。

峰上城の背後もこんな感じデス♪

国土地理院の地図だと、南へと破線が続いています。

北側の街道から海へ続く道を掌握するためらしいですが・・・

ここからでなくても、海には行けそうな気がします(;'∀')





◆歴史◆



佐久間氏により築かれたと伝わります



1258年、佐久間重吉・重貞父子により築かれたと伝わります。

佐久間氏と言えば尾張のイメージですが、上総の系統もあります。

姓の由来は安房国平群郡「狭隈」郷で、現在の鋸南町です。

三浦義明の孫・家村が地頭となり、佐久間姓を名乗りました。

和田合戦(1213年)後、和田義盛の孫・朝盛が養子となります。

佐久間朝盛の子・家盛が承久の乱での功で、尾張と上総に領地を得ました。

そして、佐久間家盛の子・重吉が、当地に土着しました。

室町時代には山内上杉家臣で大野城主・狩野氏に従うようになります。

狩野氏は伊豆から移り住んだと考えられていますが・・・

詳細不詳デスあせる

子孫は狩野正信など、国宝レベルの画家を輩出した家柄です。

しかし、狩野氏は1467年に上総武田氏に敗れ没落。

佐久間氏は上総武田氏に従うこととなりました。



1534年、真里谷朝信が城を占拠しました



1534年、天文の内訌で里見義豊と里見義堯が家督を争いました。

真里谷朝信が支持した娘婿の里見義豊が、里見義堯に討たれます。

そのため、真里谷朝信は安房国天津城を攻め落とし、警戒を強めました。

その中で、安房との境の守備を増強するため奥津城も接収されました。



1544年までに、正木時忠の城となりました



里見義堯が正木時茂・時忠に命じて上総に侵攻したのが1541年頃です。

両者の争いに空白期間があり、小弓公方の影響が考えられます。

1538年、国府台合戦でその小弓公方が戦死しました。

すると、真里谷信隆が後北条家の後ろ盾を得て復帰。

しかし、まもなく家中で争いが始まり、真里谷家が揺らぎます。

これを見て里見家と後北条家が上総の地を巡り動き始めます。

正木兄弟は、主に真里谷朝信と戦いました。

1544年、小田喜城が陥落し真里谷朝信が討たれました。

この時までに、勝浦城を拠点とした正木時忠の属城となりました。



1580年、正木憲時の乱で拠点となりました



正木憲時は小田喜城主で、正木時茂の子です。

第二次国府台合戦で義兄・正木信茂が討死し、家督を継ぎました。

対後北条戦で活躍し、里見軍の中枢を担っていましたが・・・

里見義弘の没後、里見義頼ではなく梅王丸をプッシュしたようです。

正木憲時は代替わりしたばかりの勝浦正木家領をほぼ占領。

奥津城もその中に含まれ、重要な拠点として機能しました。

その後、里見義頼軍に攻められ「興津巣城計」により陥落します。

どんな計なのかとググりますが「城以外何も残らない」としかわからず。

要するに、お城の周りに何も無くなったという事でしょうか。

正木憲時は1581年、小田喜城内で家臣の裏切りに遭い世を去ります。



1590年、廃城となりました



豊臣秀吉による小田原征伐後、里見家が改易されました。

上総国は徳川家康領となり、本多忠勝が大多喜城主となります。

本多忠勝は里見家を警戒し、大多喜城の改修に注力します。

そのため奥津城には城主が置かれず、廃城となりました。





所在地:千葉県勝浦市興津 GPSログダウンロードページ



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プロフィール

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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