2013/12/29
猫城/福岡県中間市
猫城跡には月瀬八幡宮があります。訪問日は2013年1月1日です。

▲月瀬八幡宮
ここは月瀬八幡宮ということで、初詣の人がちらほら居ました。
幟がはためくと何だか雰囲気バッチリヽ(´ー`)ノ
神社の前を流れる水路が堀跡に見えるのは心の病ということでw

▲説明板
神社の右脇には真っ直ぐ上がる階段があります。
その手前には写真の説明板がありました。
ここが昔どんな所だったのか、しっかり教えてくれるのは嬉しいですね


▲城址碑と社殿のある本丸
階段を上がるとそこは本丸。お城の造りとしてはあり得ませんが

ここも本丸と二の丸が2段になっていますね。社殿の手前には立派な城址碑があります。

▲遠景
写真は北側の田んぼから撮った遠景です。
地形的には湿地の真ん中にポツンとあります。
そして周囲はとても登れそうにない急斜面!
大軍で取り囲んで押し潰すのは難しく、守りやすそうですね。
猫にみぇ~る♪猫にみぇ~る♪
猫に見えてきましたか?(=^・^=)
◆歴史◆
築城年はわかりません。
麻生氏家臣・富永四郎左衛門尉が居城としていました。
1578年、山鹿城の麻生元重と岳山城の宗像氏貞が戦いましたが、決着がつきませんでした。
そこで、遠賀川の東を麻生領、西を宗像領とすることで和議が結ばれました。
猫城は宗像氏の城となり、吉田倫行が城主となりました。
猫城は山鹿麻生氏の持ち城だったんですね。
そういえば地図で見ると岡城より花尾城の方が近いですね。
1580年、大友氏配下の鷹取城主・毛利鎮実が猫城を攻めましたが死守。
1581年、一部の家臣が花道雪軍の兵糧を強奪。必死の謝罪も許されず。
1585年、立花道雪が没し、宗像氏貞が旧領を回復。
1586年 宗像氏貞が嗣子の無いまま没し、豊臣秀吉により所領没収。
・・・この時に廃城となったのでしょうか?
1638年、福岡藩主・黒田忠之が大宮司・佐野清麻大夫正安に命じて社殿を造営しました。
最初は猫城八幡宮、後に月瀬神社、その後『月瀬八幡宮』と呼ばれるようになりました。
所在地:福岡県中間市上底井野(月瀬八幡宮)
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