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久津尾崎城/福岡県行橋市

久津尾崎城は海沿いの山にありました。
訪問日は2012年1月1日です。

先に訪れた箕島城からはとても近いです。
海沿いを走っていると、それらしき所に神社が見えました。
それが松山神社だと思って突撃しましたが「龍日売神社」の文字が・・・
正月早々、迷子スキル2発目発動となりましたwww

久津尾崎城/登城口
▲登城口

事前に登録していたiPhoneの地図を頼りに細道を辿ると、
民家と民家の間に小さな鳥居が!!
その奥にあった案内板から、そこが松山神社だとわかりました。
お城のあった山は良く見えるのですが、ある意味攻め難いですねあせる

久津尾崎城/説明板

久津尾崎城/大坂城の石垣の説明
▲松山神社の説明板

その説明板を見ると、松山神社の成り立ちや、
大坂城の石垣の事などが書かれていました。
わざわざ印まで付けて、どこに使われたのか追跡出来るなんてスゴイ!
・・・てか、かな~りちょっぴりなんですね。
しかも、城跡であったことについては記述ナシ(-_-;)。
箕島城同様ここも超マイナーなんですね。

久津尾崎城/巨岩むき出し

久津尾崎城/杭を打った跡が残る岩
▲城跡は岩だらけ

登城路は階段が付けられてはいるものの、かなり細くて険しい道です。
少人数で守るには良いのかなと思いました。
途中には巨岩がゴロゴロしており、
石を切り出そうという発想はなるほどと思いました。
中にはまさに切り出そうと、ノミ跡が残っている岩もありました。

久津尾崎城/主郭は段差がある

久津尾崎城/松山神社
▲主郭

急坂を登り切ると、綺麗に削平された広場があります。
その真ん中で段差があり、
上段の広場の真ん中にトタン屋根の小さな祠がありました。


◆歴史◆

貞和年間(1345~50年の間)、本郷顕吉により城が築かれました。

本郷顕吉は後醍醐天皇の皇子・懐良親王の九州下向に同行した北畠信親の子です。
北畠信親は筑後で戦死しましたが、本郷顕吉は姓を改め、
代々沓尾を本拠としました。

1549年、宇留津城主・賀来外記入道と領地の境界を巡って戦となりました。
この戦で城は攻め落とされ、城主・本郷顕季は自刃し廃城となりました。

1620年、大坂城普請のため、細川忠興の命で石が切り出されて、
海路大坂まで運ばれました。
この石垣は現在も残っており、登城口にある案内板にその写真が載っています。

明治20年代、松山城主・杉一族を祀るため、城跡に松山神社が創建されました。


所在地:福岡県行橋市沓尾(松山神社)

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Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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