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千本城/千葉県君津市

千本城は、途中で断念してしまう人の多い城跡です。

訪問日は2022年1月8日と2月23日です。



【位置・改】千本城

別ウィンドウで表示



城跡へは、国道410号の上総松丘駅付近の案内の所から行けます。

案内からひたすら真っすぐ進むと、北野神社への登城口3に着きます。

登城口から間もなく左の男坂、右の女坂に分岐します。

もちろん、城キチなら堀切が見られる女坂へ!

堀底道っぽい道があり、その先に大きな堀切9があります。

城跡へは堀底を奥へ進み、左側の切岸を右斜め上へ踏み跡を辿ります。

斜面沿いに進むと、14、16と堀切が続き17(=6)の堀切に出ます。

主郭とされるのが北野神社で、奥に細長い曲輪が続きます。

その右下が用替という広い曲輪ですが、一面倒木で覆われています。

奥へ進むと左側に土塁のある曲輪25、右側に土塁のある曲輪28があります。

さらにさらに奥の尾根を登ると、一番奥の新曲輪32に着きます。

新曲輪南端からは左右に2本の尾根が伸びています。

右側(南西側)の尾根は途中で切れ、下には下りられません。

左側(南東側)の尾根は途中に堀切36があり、送電鉄塔37があります。

そのまま先へ進むとプラ階段38があり、下に下りられます。

ここも一面倒木で覆われていますが、トンネル39を抜けた先が登城口です。

・・・ザックリ書いても長くなりましたあせる



【1】千本城

1 国道沿いの案内



国道から北野神社への道の入口に、城の案内があります。



【2】千本城

2 駐車スペース



道は細いですが、登城口前まで舗装路が続きます。

Uターンもままならない道ですが、登城口前にいいスペースがあります。



【3】千本城

3 登城口



駐車スペースの真正面が登城口です。

それまで舗装路だった道は未舗装となり、奥のトンネルへ続きます。



【4】千本城

4 分岐



登城口から間もなく、道は左右に分岐します。

とは言え、大抵の人が認識する「道」は左の石段です。

案内表示はありませんが、左の石段が男坂、右の山道が女坂です。

どちらからも城跡へ行けますが、堀切が見られる女坂がお勧めです。



【5】千本城

5 男坂の石段



両方通ったので、まずは男坂から。

私、そういう趣味は無いのですが、なぜかいつも男坂です。

どこへ行っても男坂です。

きっとせっかちで近道が大好きなんでしょう。

途中、どう頑張っても休憩するような石段があります。



【6】千本城

6 堀切



最初に現れる堀切がこれですが、城キチでも気付かないかも。

それくらい道が整っていて、自然地形と認識しがちです。



【7】千本城

7 北野神社



堀切から道を進むと、岩の壁を折り返しながら登ります。

その上にあるのが北野神社で、ここが千本城の主郭とされています。



【8】千本城

8 女坂の道



続いて女坂です。

4の分岐からはこんな風に見えます。

2016年と2022年1月の2回は、こちらが道と気付きませんでした。

3回目の登城となった2月に、初めてこちらから登りました。



【9】千本城

9 堀切



分岐からほぼ真っすぐ道は伸び、直角に左へ曲がります。

すると、こんな光景が現れます。

いきなり現れるので、テンションが一気に上がりますラブラブ





▲登城口から女坂、最初の堀切まで



登城口から、女坂を通って最初の大堀切までの動画です。

この日は千本城を動画で撮りたい!と出掛けたのですが・・・

その前に行った峰上城でも撮影し、バッテリーを使い尽くすという不始末あせる

いざ充電しようとすると、モバイルバッテリーを自宅に忘れて無い叫び

じゃぁバイクで充電しよう!と思ったら、ケーブルも自宅に忘れて無い叫び

・・・ということで、無念の行き倒れです。

撮り直しはたぶんしないです。

たぶん。

すぐに事切れたので、早送りも解説も無い短い動画です。



【10-1】千本城

10 土橋っぽい地形



堀切の先にも道が続いていたので、そちらに進みました。

先に書くと、こちら側は城跡ではなさそうです。

ただ、私には何やらそれっぽさを感じられたので書いちゃいます。



【10-2】千本城

10 南側の大きな平坦地の入口



土橋っぽい所を過ぎると、上から見下ろされる感じになります。

こういう構造は、山城でよく見られますよね?

実際、左の出っ張りは登ろうと思えば簡単に登れてしまいます。

それでも、正面から見ると下側の道を歩きたくなる心理が働きます。



【11】千本城

11 南側の大きな平坦地



その先には、かなり広い平坦地が広がっています。

下手な集落など丸々収まりそうな程に広大です。

こんなに広い土地が畑でも住宅でもなく放置されています。

位置的には、根古屋か駐屯地に丁度良さそうに思われます。



【全体・改】千本城

11 南側の大きな平坦地



地図で見ると、11の三角形が上の写真の場所です。

等高線が無いのは、まさにまっ平らだからです。

しかし、ここは城跡とは関係無さそうです。

送電鉄塔設置前の発掘調査が、ココの右端下では行われていません。

用替や新曲輪から伸びる尾根では調査が実施されているのですが・・・

これだけの平らな場所が何だったのか、とても気になります。



【12】千本城

12 9の堀切



さて、GPSで城跡から遠ざかっていることに気付き、慌てて戻ります。

城跡は、さっきの広場からは堀切を挟んで反対側です。

ということで、戻って来て再びこの堀切を堪能しますラブラブ

ただいま!



【13】千本城

13 奥へ斜めに上がります



こっちへ進もうとすれば、一番単純なルートは堀切の上です。

しかし、岩を掘り抜いた切岸は、そう簡単に登れません。

そう思いながらじっとり眺めていたら、突然見えて来るもんです。

・・・見えましたか?

倒木を越えて右上に伸びる道が、だんだんと浮かび上がって来ました。



【14】千本城

14 堀切



堀切の上は曲輪かもしれないと後ろ髪惹かれますが・・・

つい楽をして斜面沿いに真っすぐな踏み跡を辿ります。

すると、またしても堀切が現れますラブラブ



【15】千本城

15 道



堀切の続く尾根の斜面に沿って続く道です。

・・・道、ですよね?



【16】千本城

16 堀切



城跡方向に「道」を進むと、またしても堀切がラブラブラブラブラブラブ



【17】千本城

17 6の堀切



そして4つ目の堀切が現れます。

ここから先は「道」が途切れているようです。

堀切の底を奥まで進むと、上がれるようになっていました。

上がった所には「見覚えのある道」がありました。

ということで、ここが北野神社の真下にある堀切です。

こちら側から見ると、誰がどう見ても堀切にしか見えません^^



【18】千本城

18 北野神社下左脇の道



北野神社下からは、普通に道を歩いても良いのですが・・・

堀切から上がって来た所が何となく十字路っぽく見えた私。

1月は道を通って神社に行ったので、2月はこの奥を確かめに。

さっきまで、斜面脇のこれより細い踏み跡通って来たのでw



【19】千本城

19 堀切



何かの予感が的中し、奥にはこんな光景がありました。

右側は北野神社が乗っかってる高台で、切岸はほぼ垂直です。

これは、尾根を断ち切って上がるのを防ぐための堀切ですねラブラブ

とは言え、神社の高台を見上げていたら何となく上がれそうに見え・・・

近道して、ほぼ垂直な切岸を登りました。



【20】千本城

20 北野神社裏



ここから先は、1月、2月とも同じルートとなります。

北野神社の裏には、そこそこ幅の広い曲輪が奥へ伸びています。

時々段差があり、たしか三段くらいあったと記憶しています。



【21】千本城

21 一面に広がる倒木



その先端は突き出した崖のようになっていて、眼下には倒木の海が・・・

ココで心が折れて引き返す方が多いようです。

実際切岸は5メートル程あり、ギリギリ下りられる?という感じです。

先端からだと道は無いので、斜面を滑り下りる感じになります。

帰りにココをよじ登れるかと言えば、答えはノーですが。



【22】千本城

22 右斜め手前から下りられます



城キチって、視界を真っすぐ進む方が多い気がします。

なので、堀切などは真ん中のキツイ所が踏み跡で崩れてたりします。

斜面直登しか紹介されていない城跡なんかもチョクチョクあります。

でも、そういう所って、実は回り込めば楽な道が見つかるものです。

誰も見つけないので、みんな一直線にキツイ想いをするのですが。

ここも、先端から戻りながら左側(神社から見て右側)にこんな景色が。

戻りながら下る感じの所があります。

ここからなら、垂直な切岸を滑り下りなくても普通に歩いて下りられます。



【23】千本城

23 用替



下りた所から先を見ると、こんな感じです。

ここに下りられれば、千本城は完全攻略出来ます^^



【24】千本城

24 用替北西端



とは言え、奥へ進むと再び同じような感じの所に出ます。

こちらは先程よりも倒木の数が圧倒的に多く・・・

多少傾斜がマシな所を見つけて右下へ下ります。



【25】千本城

25 土塁のある曲輪



24の下は堀切のようになっており、下りた先からまた登ります。

登った所は広い曲輪になっており、左側に人の背丈程の土塁があります。



【26】千本城

26 土塁



千本城で土塁が見られるのは、ここが最初ですラブラブ



【27】千本城

27 送電鉄塔



25、26の曲輪の先で、広い谷間のような場所に出ます。

右奥に送電鉄塔があり、そちら側が高台のように見えます。

とりあえずそちらへ向かいます。

というか、送電鉄塔があるのに、お馴染みの標柱がここまで1本も無し。

ということは、メンテナンス用のルートが別にあるという事デスネ!

恐らくは右奥へ続く緩斜面を下るのでしょうが・・・

視界に入るのは、田んぼのようにぬかるんだ面でした。

完全攻略目指していても、そんな所までは歩きません(*´Д`)



【28】千本城

28 土塁のある曲輪



送電鉄塔の所は、ちょっとした腰曲輪のようになっています。

その奥の一段上に、横長の土塁のある曲輪があります。

コチラの土塁は、先程の曲輪とは反対側に土塁があります。

なぜそこに土塁があるのか、見ていても全く理解出来ず。

手前側のは城外から見えないように、奥のは転落防止でしょうか?

今度の土塁は、中央で直角に曲がっています。



【29】千本城

29 堀切



土塁のある曲輪を奥へ進むと、幅の広い堀切があります。

城キチフィルター越しに見えてるので、自然地形なのかもしれませんあせる

これまでの土木量から考えれば、人為的に掘った可能性大ではありますが。



【30】千本城

30 尾根道



ここからどう進めば?なんて、城キチの辞書にはありません。

高みに続く尾根があれば、無条件にそちらへと進むのであります。



【31】千本城

31 堀切



城キチの本能は、堀切が現れる事で正しかったと証明されましたヾ(*´∀`*)ノ



【32】千本城

32 新曲輪



そのまま尾根を登り切ると、広い平坦地に出ました。

ここが「新曲輪」と呼ばれる、一番奥にある曲輪です。

新と付くだけあって、削平がしっかりしたかなり広い曲輪です。



【33】千本城

33 南西尾根から見た城内方向



新曲輪の南側は、燕の尾のように尾根が2本伸びています。

まずは新曲輪側から見て右側の尾根へ。

2本の尾根の間は、段々になっていて水が溜まっています。

城内側を見ると、倒木で埋め尽くされた広大な平坦地が見えます。

用替かと思って見ていましたが、右側に土塁のある曲輪の外側でした。

これだけの広さなので、ここも曲輪だったのかもしれません。



【34】千本城

34 尾根先端を下りた所



尾根はだんだん傾斜がキツクなり、尾根間の段々も最後はこうなります。

ここはまだ踊り場的な感じですが、この先はかなり傾斜がキツクなります。

上り下りは不可能でなないですが、現実的ではない程です。

ここから尾根に戻るだけでも、結構苦労しました。



【35】千本城

35 南東尾根



尾根の付け根まで戻り、今度は反対側の尾根へ。

新曲輪から見て左側で、右側の尾根との間に段々の平坦面が連なります。

この平坦面には水が溜まっていて、水田のように見えます。

段差を付けたのは、もしかしたら水を貯めるためだったのでしょうか。



【36】千本城

36 堀切



こちら側の尾根には、途中に見事な堀切があります。

手前から見た時、堀切から先へは進めないように見えました。

それくらいに往来を妨げる役割をバッチリ果たしています。



【37】千本城

37 送電鉄塔



城跡の奥の奥まで攻略したので、あとは行ける所まで!と尾根を進みます。

すると、尾根上に送電鉄塔が現れました。

これがあるという事は、ここに至るメンテナンス用の道がある筈です。

しかし、登城口からここまで、送電鉄塔とセットの標柱が1本もナシ。

という事は、今まで来たのとは反対側にそれがある事を示しています。

予想通り、ココからプラスチック製の階段が見られるようになります。



【38】千本城

38 送電鉄塔への道



そのまま先へ先へと進むと、尾根先端を下りました。

実はココに来る前、どちらかの尾根からも登れると予想していました。

新曲輪攻略がまだの方は、こちら側から登るというのも1つの手です。



【39】千本城

39 北作隧道



新曲輪南東側の尾根へは、登城口奥の手掘りトンネルの先から行けます。

このトンネルは三角形で明かりも無く、とても新鮮な気分が味わえます。

登城口からトンネルを抜けた先は、用替並の倒木だらけクローバークローバークローバー

地図には道が描かれていますが、どこが道なのかサッパリです┐(´∀`)┌

あと、尾根を下りた所で2頭のデカイ猪を見掛けました。

彼らは幸いにも、いち目散に逃げ去りましたが・・・

逆に私目掛けて駆け寄って来たら、ちょっと対応出来ません。

出会い頭だと向こうも驚いて襲って来るので、獣避けの鈴は必携です。





◆歴史◆



築城年代、築城者ともに不詳です。



主郭にある北野神社は、社伝で1488年に里見義実の創建と伝わります。

今の場所ではなく、拝殿のある辺りと思われますが。

この年代、上総武田氏は里見氏の北上に備え国境に城を連ねました。



約4km北の古久留里城は、1456年に武田信長が築いたとされます。

久留里街道1本で繋がっており、その支城だったと考えらえています。

千本城の南約1.5kmの所には、さらに大戸城もありました。

大戸城は1534年の家督争いの際、里見義豊が真里谷恕鑑に匿われた城です。

この時には既に、久留里城の南を固める城が連なっていた事になります。



1555年頃から久留里城周辺が戦場となります



後北条家の調略により、安房・上総国境に勢力を持つ内房正木氏が内通。

1564年の第二次国府台合戦前後から、勝浦正木氏や土岐氏も寝返りました。

さらにこの戦で、里見軍の主力・小田喜城の正木信茂も討死します。

そのため、里見家は上総の大半を一時失いました。

しかしその後、安房で力を蓄えた里見義堯が徐々に失地を回復。

1566年末頃までには、久留里城も取り戻したと考えられています。

翌年、里見軍は三船台合戦で後北条軍本隊を破り、一気に攻勢に出ます。

そして、上総を越えて下総の千葉氏を脅かすまでに勢力を回復しました。



1580年頃は東平安芸守が城主だったと考えられています。



1578年に里見義弘が没すると、里見家中で家督争いが始まりました。

安房国を継いだ里見義頼と、上総国を継いだ梅王丸がその主役です。

この争いで、千本城に籠ったのが東平安芸守・右馬允父子です。

それ以外に東平氏についてはわからずあせる
ただ、先代当主の居城・久留里城から至近距離の城を任された人物です。

梅王丸の乳母の父または兄という説があるようです。

この争いは、機先を制した里見義頼が勝利します。



1590年に廃城になったと考えられています



豊臣秀吉の小田原征伐後、里見家は上総国を召し上げられました。

久留里城は、大須賀忠政が3万石で城主となりました。

この時に千本城は廃城になったと考えられています。





所在地:千葉県君津市広岡 GPSログダウンロードページ


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プロフィール

なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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