2013/12/22
箱田城/群馬県渋川市
箱田城跡は現在、温泉施設「たちばなの郷」となっています。訪問日は2008年12月13日です。

▲温泉施設
箱田城跡にある温泉施設は、城郭風の建物です。城跡めぐりを始めたばかりの頃で、当時はこんな感じの所ばかり回っていました。ということで、周囲にあった空堀など眼中になく・・・写真もありません

群馬の在庫はこれで終わりです。白井城跡をはじめ、調べてる内に行きたい所が沢山出てきましたがw
◆歴史◆
箱田城の築城年を含め、詳しい事はわかりません。北にある白井城の支城として、箱田地衆が守っていたとされています。箱田地衆は木曽義仲の旧臣を称する半農半士だったそうです。
白井城は白井長尾氏によって、1360年代に築かれたと考えられています。地理的には厩橋と沼田の中間にあり、上野と越後を結ぶ要所でした。白井長尾氏は関東管領・山内上杉氏の家宰職にあり、上野守護代を務めていました。・・・ということで、本城であった白井城の歴史をザックリ書きます。
・南北朝時代(1333~92年の間)、長尾景忠が白井の地に入る。
・享徳の乱(1455-83)で長尾景仲が白井城が築いたと推定。
・1478年、長尾景春が山内上杉家に反乱を起こす。
・1527年、長尾景春の孫・景誠が家臣に暗殺される。
・1552年、上杉憲政が越後に逃れ、長尾景虎(上杉謙信)の勢力下に。
・1567年、武田信玄が侵攻し落城。直後に上杉謙信が奪回。
・1570年、真田幸隆に攻められ、長尾憲景が開城する。
・1572年、真田幸隆に白井城を奪われ、八崎城(箱田城の北)へ逃れた。
・1573年、越相同盟により、長尾憲景は白井城を取り戻す。
・1578年、御館の乱で武田軍が上野に侵攻。長尾憲景は降伏した。
・1582年、武田氏滅亡後、滝川一益が上野国を支配。
・1582年、本能寺の変後に滝川一益が撤退。長尾憲景は後北条氏に降る。
・1583年、長尾憲景が没し、子の長尾政景が城主となる。
・1590年、小田原征伐で前田・上杉氏らにより北郭を占領される。
・1590年5月15日、開城し白井長尾家の支配が終わる。
箱田城はここで役目を終えて廃城になったと思われます。
所在地:群馬県渋川市北橘町下箱田
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