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物集女城/京都府向日市

物集女城は「もずめじょう」と読みます。
訪問日は2022年7月31日です。

【1】物集女城
【1】物集女公民館

城跡周辺は住宅街なので、クルマで行けるだろうか・・・?
事前準備の段階で情報収集の結果、ここなら停められそう!
ということで来たのが、城キチの味方・公民館です。
ナビ通りに来てみたらバリケードで入れず、というのは西側。
どうしよう?とウロウロした結果、東側に回り込んだら入れました。

【2】物集女城
【2】公民館にある中海道遺跡の説明板 拡大表示

公民館にクルマを停めていざ出発!
でも、目の前に城キチなら嫌でも目が向く白い板が。
何やら櫓っぽいイラストも描かれている、と思ったら遺跡の説明板でした。
どうやらとても古くから集落があった場所のようです。

【3】物集女城
【3】物集女町中条の標柱

城跡へ向かう途中、これまた城キチの目を引っ張る標柱が。
ここが城跡のどこに該当するのか、を期待して見てみました。
地名の由来が書かれており、城内の大通りだったのだとか。
城キチの予感的中でしたヾ(*´∀`*)ノ

【4】物集女城
【4】説明板のある行き止まり

そして、程なくお目当ての場所に到着。
アパートと駐車場の間の突き当りに、城についての説明板があります。

【5】物集女城
【5】物集女城の説明板 説明板を表示図を拡大表示

ここで収穫出来るのはこれだけ、というのが事前準備での情報です。
このすぐ下には、かなり目立つよう「立入禁止」と書かれています。
とはいえ、かなり詳しく書かれています。
市の調査には協力的な地主様のようです。
さて、ここへは地名に興味があって訪ねました。
どんな由来で「物集女」という地名になったのか、面白そうだったので。
説明板の図を見ていると「クズ子」という小字名も登場します。
地名を通して書くと「物集女町クズ子」となります。
後で由来を調べるのが楽しみでしかたありません♪

【6】物集女城
【6】説明板の所から見た城跡

ということで、城跡としての写真をカメラに収めました。
・・・並の城キチならこの1枚でおしまいです。
でも、地図で気になる場所があったので、そちらも見て来ました。

【7】物集女城
【7】物集女城公園

その気になる場所へ向かう途中、道端に立派な石碑を発見。
途中までは城跡関連かぁ!とテンション上がりましたが・・・
小さな公園にしては、立派過ぎる石碑でしたw

【8】物集女城
【8】堀跡?

さて、気になる場所というのがココです。
航空写真見てると、緑地がウネウネっと曲がっていました。
たぶんココ堀跡じゃね?ということで見に来ました。
住宅街の真っすぐな区画に対して、不自然な曲がり方をしています。
しかも、中に入れないようビッシリと生垣で囲んでいます。
地形といい、城跡との共通点がてんこ盛り。
たぶん当たりだと思います(*´艸`*)



◆歴史◆

弥生時代の居館跡が見つかっています

地名の由来は後程書くとして、まずは歴史から。
公民館の説明板によると、弥生時代既に大物の館がありました。
どれくらい大物かというと、前方後円墳を造る程なのだとか。
堀を伴う祭殿があり、日本で7箇所10例しかないものだそうです。

物集女氏の城でした

戦国時代には国人・物集女氏の城がありました。
史料では、1487年に物集女光重が登場します。
応仁の乱後、西岡被官衆の惣国の結集に参加したものと考えられています。

1575年、当主が謀殺されました

1568年、織田信長が上洛し、畿内を制圧しました。
この時、この辺り一帯が細川藤孝に与えられました。
細川藤孝は地元の国人衆を配下に加え、領地を安堵しました。
この時、物集女忠重は従わなかったようで・・・
どういう名目かは?ですが、勝龍寺城に呼び出され殺されました。
細川藤孝が勝龍寺城に入ったのが1571年なので、すぐではなさそうです。
何度も説得を試みたものの、埒が明かずにこうなったのかもしれません。
説明板では「滅ぼされた」ではなく「没落した」と書かれています。

気になる地名の由来

何も調べていない時は、あだ名になる程の収集癖のイメージでした。
お見合いを繰り返す内に、武将カード?的な物を集めまくる・・・
そんな微笑ましいエピソードを期待していました。
でも、ちょっとハズレだったようです。

「物集女」で調べると「百舌鳥から移り住んだ」しか出て来ません。
「諸説ある」なんて前置きしてるのに、です。
百舌鳥は大阪府の地名で、その地を領する豪族の名だとしています。
『和名類聚抄』では「物集」の仮名に「毛都米」と記載。
『太平記』では「鵙目」と表記されているそうです。
百舌鳥には、古墳造営を生業とする土師が住んでいました。
土師は4家に分かれ、その中に「毛受」氏の名もあります。
私は「めんじゅ」と読むと思ってましたが、「もず」と読むそうです。

毛受の由来を調べると、こちらにはちゃんと諸説載っています。
本当に色々あり、
・和泉付近に住んでいた百舌鳥氏
・免除からの転訛
・大和国鵙に由来
などなどです。
和泉説と大和説は、どちらも移住してきたとする説です。
しかし、どちらも末尾の「女」の由来がありません。

異色なのは真ん中の「免除」です。
日本語では「めんじょ」、中国語では「みえんじぁう」と読みます。
免除→毛受(めんじょう)→毛受(もず)は何となくアリな感じです。
最後の「じょう」を「女」で表記もアリな感じです。
途中でどう変化したのかは想像もつきませんがあせる

同じ由来の別名が出て来たので、後ろに「女」を付けて検索。
すると、伊勢にあった求神社(毛受女神社)が出て来ました。
直接の検索では1件だけでしたが、求神社だと沢山出て来ます。
ただ、いずれも伊勢の宇治神社に合祀された、求神社を指していました。
祭神は御裳須曽姫神ですが、他にこの神様を祭神とする神社が見つからず。
由来や読み方は?なままですあせる
ただ「求」に「毛受女」なので「もずめ」と読むのかもしれません。


所在地:京都府向日市物集女町

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コメント

無題

読めない漢字がたくさんで、己の学のなさがにじみ出てきます(笑)
「もず」の字がこんなに何種類もあるなんて驚きでした。
毛受なんて「けうけ」だと思いましたし(^^;;
勉強になりましたm(_ _)m

無題

>御城学さん
人名としては「けうけ」とも読むそうです。
私は尾張の武将にそんな名前の人いた?な感じで思い出しただけです。難読地名、難読地名は「そんな読み方するんだ」もありますが、由来を調べてみるのも面白いです。今回は結局わかりませんでしたが(汗)
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なぽ

Author:なぽ
故郷にはお城があり、小さな頃から何となくお城が好きでした。若い頃から旅が好きなので、旅行ついでに立ち寄るといった感じでした。

しかし、本格的に城をメインに旅を始めるとハマってしまい・・・。今では道無き山まで歩き回るようになりました。もう、殆どビョーキですw

全国津々浦々見てやろう!と意気込んでいましたが、訪ねる基準が年々変化しており、始めた頃に回った地方がかなり手薄になりました。でも、あまりにもマイナー過ぎる城跡まで回るのもどうかと思いつつ、通りすがりに「〇〇城跡→」なんて案内があると、ついつい足が勝手に動いてしまいます。

書き始めるとついアレコレ気になって調べまくり、遅々としてブログが進みません。こうしている間にも訪ねっ放しの城跡がザクザク溜まる一方で・・・。書き方もちょっと考え直さないと、死ぬまでに書ききれないとマジでびびっています。

おっと、またつい長くなりましたが、基本スタンスは「道案内 & 見所案内 & 歴史も!」な欲張りブログを目指しています。ここでお友達を作るつもりはありませんので、ググって出て来てちょっと気になったら読んでやって下さいませ。

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