2013/10/30
三ツ木城/埼玉県桶川市
三ツ木城跡は現在城山公園となっています。訪問日は2013年10月12日です。

▲駐車場脇にある案内図の一部
城山公園は圏央道・桶川北本ICのすぐ脇にあります。圏央道の起点になっているせいか、すぐ近くの交差点はかなり混んでいました。駐車場にバイクを停め、きょろきょろしていたら案内図を見つけました。城跡は三角形に描かれている城跡広場です。
城は南から北に伸びる比高5m程の台地上にあり、周囲は沼地だったそうです。城の大手は三角形の南側でしたが、現在は住宅が立ち並んでいるそうです。

▲城跡散策路
案内図にあった三角形を目指して園内を歩いていると、城跡へ行けそうな道が。公園内の広い道から脇の雑木林の中に伸びる薄暗い道・・・もちろんそちらへ吸い寄せられました^^

▲スズメバチ・・・!!
そんな薄暗い道を歩いていると、木に貼り紙が。デカデカとスズメバチ注意、なんて書かれています。あぁ、いるのか~なんて思っていたら・・・目の前をデッカイのが飛んで行きました


▲説明板
薄暗い道の先を目で追ってみると、先の方で公園の大きな道に合流してるのが見えました。・・・なんだ、結局つながってるのかw数m先を何匹もデッカイのが飛び交ってたので、雑木林を横切って元の大きな道に戻りました。そして歩いていると、道端に立札が。三ツ木城についての説明板がありました^^

▲登城路?
公園の道は城跡散策路と合流し、更に進むと公園の出口が見えてきました。・・・城跡に入る道はどこだろう・・・と思っていたら、左右を緑色のフェンスに囲まれた怪しい道がありました!入口にはよく工事現場にある黄色いヤツがあって「この先行き止まり」と書いてありました。
あ・や・し・いヽ(´ー`)ノ
方向的にも城跡の三角形に向かいそうなので、迷わずGo!しかし・・・随分長い間通った人が居ないようで、1mおきに女郎蜘蛛の大きな巣が。最初の内は気をつけながら「ごめ~ん」と言いながら蜘蛛の巣を払いながら進みました。この先にきっと見事な土塁が♪、空堀が♪などと妄想しながら歩いていましたが・・・
ついに私も顔面に蜘蛛の巣を喰らいました



頑張って50m位は進みましたが、ここで心がポッキリ。夜明け前に家を出て1日中駆け回り、気付いたら既に陽は傾きかけ・・・気力も体力も尽き果てた私は、キリッとUターンしたのでありました(´・ω・`)
◆歴史◆
築城年代や築城者はわかっていません。有力なのは、平安時代末から鎌倉時代はじめ頃、足立遠元が築いたとする説です。
足立遠元は藤原氏の出で、遠兼が武蔵国足立郡に移って足立姓を名乗ったのが始まりです。遠兼の子・足立遠元は源頼朝のもとで活躍しました。
鎌倉幕府草創期には公文所でただ1人、武士として寄人になっています。また、頼朝が上洛した際には布衣侍7人の内に選ばれ、左衛門尉に任ぜられています。遠元の館跡は桶川市やさいたま市などに数箇所の候補がありますが、特定されていません。
三ツ木城はその候補の中の1つに数えられています。発掘調査の結果、築城は14世紀頃だとする説が有力です。足立氏の子孫は河田谷氏を名乗り、戦国時代まで続きました。近隣にある城館跡は、河田谷氏が何度も移った跡かもしれませんね。
戦国時代には、三ツ木城は岩付城の支城だったと考えられています。その頃の城主は太田氏の家臣・石井丹後守だったとされます。石井丹後守がどんな武将だったのか・・・わかりませんでした(TдT;)
・・・とまぁ、加納城もそうですが、桶川周辺についてはわからないことが多いです。
1590年、後北条氏が滅ぼされると、川田谷には牧野康成が入りました。牧野氏は桶川北本ICのすぐ脇に陣屋を築いたそうです。やはり、この辺りに領地を治めるための施設があったのでしょうね。
所在地:埼玉県桶川市川田谷(城山公園)
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