2013/10/27
加納城/埼玉県桶川市
加納城は住宅地に囲まれた駐車場を中心にありました。訪問日は2013年10月12日です。

▲城址碑
城跡の場所はわかりにくいです。県道12号からLowsonの所で曲がり、最初の道を右にまがり、更に最初の道を左へ・・・詳しくは下の地図を見て下さいなw
そこには未舗装の駐車場があります。さて、どこかいな?と見渡すと、わりとあっさり城址碑は見つかりました^^

▲空堀
パッと見渡した所はただの駐車場ですが・・・なんだか木立の奥に進めそう!その木立をくぐると、そこには空堀と思しき窪地がまっすぐ伸びていましたヽ(´ー`)ノただ、そこから先へは何となく遠慮して進みませんでした。
後で色んなサイトを見てみたら、その先の公園に説明板があるのだそうで・・・毎回恒例の「跡のまつり」でした┐(´∀`)┌
◆歴史◆
加納城そのものについての歴史は、ほとんど何もわかっていません。そして、周囲の歴史もよくわかっていない事が多いです。なので、以下どれかに該当する可能性も無きにしも在らず。・・・ということで、
まず、桶川の領主というと、平安時代末から鎌倉時代始めの足立氏がいました。足立氏は藤原氏の末裔で、遠兼が武蔵国足立郡に移り、足立姓を名乗ったのが始まりです。遠兼の子・足立遠元は源頼朝のもとで活躍。鎌倉幕府草創期には公文所でただ1人、武士として寄人になっています。また、頼朝が上洛した際には布衣侍7人の内に選ばれ、左衛門尉に任ぜられています。遠元の館跡は桶川市やさいたま市などに数箇所の候補がありますが、特定されていません。
時代は下り、室町時代には「栢間城」に鳩井氏が拠っていたと伝わります。鳩井氏は1381年と1399年の文書に鳩井美濃三郎入道浄景の名が記されています。県道12号線沿いにある近くの正法院は、1455年に鳩井三郎により開基されました。また、正法院の熊野社の1570年に棟札には大檀那鳩井息女鍋殿の名が記されています。
『新編武蔵国風土記稿』で「村の東の方小名沼尻にあり、今田畑となりて昔の境界分ち難し。古くは鳩井将監という者、この所に住せしという。」
と述べられているのですが・・・栢間城の場所は今でも特定されていません。確かに近所ではあるのですが、地名からして可能性は低い、ですよね

Google Mapの航空写真を見ると、加納城跡の周りを水田が取り囲んでいます。このことから、かつては沼沢地に浮かぶ微高地に館か城が築かれていたと思われます。まあ、出土した古銭に永楽通宝が含まれることから、室町時代以降の城跡と思われます。
所在地:埼玉県桶川市加納
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